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◇ゴムの歴史◇
 ゴムはその弾力性、防水性など他の物質に求め得られない性質が有り、相当古い昔からアメリカ・インディアンの 間で知られていたようです。
 
 欧米の文明史にゴムを紹介したのは、クリストファー・コロンブス(Christpher Colonbus) であるというのが通説になっています。彼の2回目のアメリカ探検(1493-1496)の際に今の西インド諸島のハイチ島 に立ち寄った時、現地人がゴムまりで遊戯しているのを目撃しこれを帰国後に報告したといわれています。
 
 しかし1839年(天保10年)、チャールズ・グッドイヤー(Charles Goodyear)が加硫法を 発明するまでゴムは単に珍奇な物として取り扱われ、工業用の材料にはなりませんでした。即ち、生ゴムのまま加工 されたゴムは弾性、防水性は有るが、冬は硬く夏は柔らかく、油に溶けるなど、物質的にも粗悪な物でした。
 
 グッドイヤーは加硫法(ゴムに硫黄を混ぜて加熱すると物性がよくなる)を発明して、ゴムを加硫する事によって ゴムの弾性が増し、温度変化によく耐え、油には膨潤するが溶けなくなり、対磨耗性も数段改良される等々、ゴムの 改質に成功しました。
 
 1880年(明治13年)、イギリスの獣医ダンロップ(J.b.Dunlop)が空気入りタイヤを発明するに および自動車産業の出現と相まって、ゴムの使用量は急激に上昇しました。グッドイヤーこそゴム産業界の父と いわれる所以です。
 
 ゴム分を含有する植物は地上に300種以上あり、その中で最も良質のゴム(ラテックス)を多量に出すのは、 ヘベア・ブラジリエンス(Hevea Brasiliensis)であり、原産地は南米アマゾン河流域です。ゴム樹の生育する 条件は、年中高温多湿で、強い風が吹かない地方でなければなりません。植物学上では、ゴム帯(Indiarubber  zone)と呼ばれる赤道を中心に南北緯30度の間にまたがる熱帯地方の、特に雨量の多い所を除いては存在 しません。
 
 ゴムが工業原料として真価を発揮しだすと人々はゴムを求めて狂奔しましたが、野生ゴムしかなかったので、 1825年(文政8年)、ポルトガルから独立したブラジルはゴムを独占し輸出税を課すと共に、ゴムの種子、 苗の持ち出しを禁止しました。こうしてしばらくの間、野生ゴムの独占は奴隷の酷使となり、ブラジルは巨額の 利益を得ました。
 
1876年(明治9年)、イギリス人、ウィックハム(H.A.Wickham)はブラジル政府の厳重な監視をくぐって ゴムの種の密輸出に成功し、ロンドン郊外のキュー植物園で発芽させた苗をセイロン島、シンガポールに移植 しました。かくしてアマゾン河流域に野生したゴム樹はマレー半島、ボルネオ等の平地に栽培されるようになり、 ここに栽培ゴムと野生ゴムの戦いが始まることになりました。
 
 1900年(明治33年)、栽培ゴムが初めて4トン市場に送られましたが、1904年(明治37年)、 カーボン・ブラックがゴムの補強性に効果があることが分かりました。更に1906年(明治39年)、アメリカ人、 オーエンス・レーガー氏が加硫促進剤を発見するにおよび、自動車工業が20世紀になって飛躍的に発展したと同時に ゴムの供給が追いつかずゴム価格は昂騰を続けました。栽培ゴムの生産が毎年増加されていくのに反し、野生ゴムの 増産は意の如くにならず、1912年(明治45年)、野生ゴムの生産量は7,041トンを最高記録に年々衰退を 続け、遂に栽培ゴムの天下となり、ブラジルに変わりイギリスが膨大な利益を独占するようになりました。
 
 こうして第二次世界大戦による合成ゴムの大量生産開始まで、イギリスのゴム独占は続きました。イギリスのゴム 消費量は世界総生産の10〜15%に過ぎませんでしたが、イギリスの支配するゴム生産高は77%に達して いました。