いや~ 早いもので、この【歴知隊(れきしりたい)】も発足から2年が経とうとしています。
龍馬伝に刺激され、半ば勢いで始めた感は否めないですが、知識はないにせよ、
やはり自分は歴史が好きなんだな~と実感している今日この頃でありんす。
どのくらいの方に読んでいただいているかは不明ですが、自己満で今後もUPし続けます^^
今回は、京急線に沿った品川区の旧東海道の旅に行ってまいりました~
時間にして自転車で約4時間の旅でした。
なんと、前回に引続きワイフも一緒に探索♪
そろそろ、本当に入隊を考えてあげないとな~
(ただ単に、僕の行動が怪しく、疑われているっていう説もありますが・・・)
ま、いっか。そんでは、いざ、しゅっぱ~つ!!!
っと、その前に今回探索した、簡単な自家製マップを掲載しておきますね。
↓↓↓
事務所のある平和島駅から、品川方面へ行く間に、車窓から見える「品川神社」
ずっ~と気になっていました。昔ちょこっとテレビで由緒ある~~~って言ってた気が・・・
とりあえずは、その品川神社よりスタートします!
ここ品川神社は、後鳥羽天皇の御世、
1187年に源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神として、
品川大明神と称しました。
なんと、徳川家康も関が原出陣の前にここで祈願したそうです。
階段の途中に富士塚の入り口が・・・
皆さん、富士塚ってご存知ですか~?
富士塚とは、富士信仰において富士山を遥拝するための、
いわば富士山のミニチュア版なんですよ。
実際に富士山に行けない人たちが、富士塚に登ることで、
富士山に登山したのと同じ効果をもたらすって感じですかね~
江戸時代に流行ったらしく、今でも数箇所に残っています。
ここも有名だそうですが、以前タモさんが千駄ヶ谷?にある富士塚に登っていました^^
一つ一つの距離は非常に短いですけど、ちゃんと10合目まであるんですね~
この頂上から見える景色が、最初の画像にもある「新東京百景」と言われる所以なんでしょうね。
そして、この品川神社には、なんと、あの【板垣退助のお墓】があるのでした!!!
僕も出発前に地図を見て気付いたくらいで、実際に品川神社を検索しても
大々的には記載されていません。(ん~、これぞ歴知隊の醍醐味)
実際に、現場に行っても看板もないので、ほとんどの人が気付かないと思います。
下の写真の脇道を通って、裏に行かないとわからないので、そりゃ気付きませんよね。
僕が見ていた限りでは、参拝に来られている方でこの脇道を通っていく人はいませんでした。
裏にある看板を見て、納得。
この看板の内容を見ると、元々この場所は別の寺院があった所で、
生前に自分の死後は、ここに墓を建てるようにと希望し、
その意向通りにこの場所に埋葬されたそうです。
関東大震災後、寺院は世田谷に移りましたが、お墓だけは、彼の意思を尊重し、
そのまま残ったそうな。ですから、この場所は、品川神社の境内地ではなく、
便宜上一部を開けてお参りが出来るようにしているとのこと。
ん~、だから大々的には謳ってないのですね~。
退ちゃんは(急に馴れ馴れしい)、龍馬と同じ土佐藩で、山内容堂の御側用役として、
明治には党総理として活躍した人物です。
あの勤王党の武市半平太らを処刑したって言われてるけど、龍馬伝に退ちゃん出てたかな~?
(全く記憶なし・・・)
そこまでの人物が、ほとんど人の目に付かない場所に眠っているなんて、なんだか寂しい[E:weep]
まぁ、でも激動の時代に生きていただけに、ひっそりとした場所に眠ってるっていうのもありかも。
退ちゃんの心境は如何に・・・ 本人のみぞ知るってとこですかね。
遊説中に暴漢に襲われ発した「板垣死すとも、自由は死せず」は有名ですね。
でも本当は「吾死スルトモ自由ハ死セン」と言ったそうですが、後に表現が変わったそうです。
いや~、僕も何か金言残して死にたいな~ ん~例えば・・・
長嶋茂雄の引退セレモニーでの有名な一言
「私は今日ここに引退いたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です。」
と退ちゃんの一言をもじって、こんなんはどうだろか?
「わしの身体は死すとも我が魂は永久に不滅だぜよ」みたいな・・・
ん? あか~ん、即席で考えたけど、これじゃただの浮遊霊になってまう。
しかも家族には「大丈夫だから、安心して成仏して」って言われるだろうし・・・
もう少し真剣に考えようっと。
話はそれましたが、以上、品川神社探索でした!
予定では、今回の【品川・旧東海道編①】は地図でいう④までいきたかったのですが、
思いのほか退ちゃん枠が多くなってしまったため、今回はここまでとさせていただきます^^
最後に、来週五反田TOC内で合同展示会を行います!!!
弊社も出展しますので、是非ご来場いただきますようお願い申し上げます。
ささやかではございますが、ノベルティもご用意していますので、気軽に足を運んでください~~~