歴知隊(真似事)

こんにちは!関西営業担当の増田です^^Masuta

 

つい先日この冬初めて体調をくずしました・・・

まぁ毎年のように風邪は引いているんですが、

「おっ!今年は行けそう!」と思った矢先にコレです・・・

やっぱり気が緩むとダメですね><

 

なので営業の時はマスクをしていますがご容赦くださいませ[E:coldsweats01]

 

さて今回のお話は東京に行ったときに観光してきた横浜の話を・・・

と思っていたのですが東京営業所の所長さんに

先にされてしまってました[E:weep]

なので所長さんがいつも楽しそうにやっている歴知隊を

パクってやろうと思います[E:good]

 

という事で先日、営業の合間に岡山県の倉敷にある

美観地区に行ってきました!

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>「倉敷美観地区」→江戸時代初期の寛永19年、

江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が当地区に設けられ、

以来備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持つ。

倉敷川の畔から鶴形山南側の街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や

蔵が並び、天領時代の町並みを残している。

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古い町並みの中で可愛い民芸品屋さんやカフェなどがあり

雑貨好きなら一度は行ってみたい場所だと思います[E:note]

 

本当ならゆっくりと散策しながらカフェでのんびりしたかったのですが、

残念ながらホントに合間だったのでどの店にも入る事が出来ず・・・

 

次回はプライベートで観光してこようと思います!

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あの闘将の記念館・・・帰りに見つけました[E:eye]

マジで次回こそ必ず!!

 

 

ちなみに倉敷にあるペガサスキャンドルさんではこんなものもありますよ~[E:flair]

 

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その名も「倉敷ろうそく」

岡山で有名な3つの果物の香りをイメージしたキャンドルです[E:notes]

左から マスカット、白桃、ピオーネとなってます!

 

 

普段、営業で回ってるところも改めて観察すると素敵なところが

多いことに気付きました[E:shine]

皆さんも身近な場所を散策してみてはいかがでしょうか??

きっと素敵な発見があると思いますよ^^

【歴知隊~vol.10~(横浜特別編)】

皆様、こんにちは! Sawada_2

前回で横浜編は終了したはずなのですが、

訳あって特別編をUPします。

その訳とは・・・

先週ギフトショー&各仕入先様の展示会が開催され、

本社営業の某増田君も当然のことながら上京。

(以下某増田君はあだ名のマスターと記載)

土曜日の休みを利用して、横浜へ観光に行くことになりました。

参加メンバーは、マスターと東京営業所から

カジ・丸ちゃん・私の計4名。

 

 

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お~~~

忘れとった。 丸ちゃんの息子こと「ぼっちゃん」も参加なんで、

計4.2名ですね。

 

先日、丸ちゃんは家族でランドマークへ、

私は赤レンガ倉庫に行ったので(一人で・・・)

今回は中華街と山下公園を選択。

 

 

まずは、中華街にて昼食~~~

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さすが土曜日ということもあって、すごい人でした。

その場で人気店をカジが検索し、

行ってみたところ行列ができていた為、断念。

並ばずに済む店を適当に入りました。

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並ばずに入ったわりには、結構なボリュームで

(たしかこれで¥800だったかな?)

しかも美味しかったですよ♪

このボリュームにも驚かされましたが、

何といってもすごいのが、この「ぼっちゃん」

↓↓↓

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くるもの拒まず、ただひたすら食べまくり(驚!!!)

「もうお終い」と言えば泣き、仕方なくお口にもっていけば満面の笑顔で

ムシャムシャ。。。

ホントこれの繰り返し。。。

カジのチャーハンも半分近く食べたのでは??

こりゃ~大きくなるわけだ 末恐ろしい~~~[E:coldsweats01]

 

 

お腹もいっぱいになったところで、山下公園いざ出発!

ぼっちゃんには、食事のお世話や道中で抱っこなどして、

みんなにも「お父さんみたい」と言われ、

まんざらでもないな~なんて喜んでいたら・・・

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マスターがぼっちゃんを抱っこ・・・

「おまえ、結局誰でもいいんじゃね~か~[E:pout]」

と遠くから思いながらも、

人様の子供に嫉妬している自分の器の小ささを感じるのでありました[E:weep]

でも、ぼっちゃんはマスターを見て「アンパン、アンパン」と連呼[E:happy02]

たしかに似てる~~~ 心の中では

「お前が好かれているんじゃないんだよ。

アンパンマンに似ているからだよ[E:happy01]」

とこれまた、器の小さな自分が現れる・・・

まぁでも、とにかく人懐っこいぼっちゃんでした。

 

 

山下公園と言えば、デートスポットでも有名ですが、

やっぱり【氷川丸】ですね。

私は既に5回目くらいですが、何回来ても面白い!

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【氷川丸】見学

氷川丸についての情報は下記のWikiご確認ください^^

↓↓↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E4%B8%B8

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昭和初期に造船されただけあって、レトロな装飾(渋~い)

 

 

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船内から見た景色。

昭和に活躍した船の中から、現代の景色を見る。

う~ん、タイムスリップした感じ。

 

 

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児童室やレストラン、読書室etc

 

 

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客室

 

 

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一番人気の操舵室。

嫌々ながら強引にキャプテンキャップを被らされているぼっちゃん。

 

 

本当はもっと写真や説明をしたいのですが、

この辺にさせていただきます。

以上、横浜特別編でした~~~

 

【歴知隊ニュ~ス】

先日の日経MJからの記事です。

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この通りは、歴知隊を発足した最初のブログ(vol.1)で、

会社の近くの歴史を紹介しています。

http://freewill.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/11/index.html

 

ご近所に江戸を感じさせる町並みが・・・ 最高♪

完成した暁には、またUPしますね~!!!

【歴知隊~vol.9~(横浜後編)】

お待たせしました~~~(待ってない??)Sawada

どっちにしても、横浜後編をお届けします!

 

前編は【神奈川県立歴史博物館】までご紹介しましたので、続きは・・・

 

【旧生糸検査所】となります。

日本有数の貿易港である横浜港にとって、

最も重要な役割を果たしていたのが生糸だったそうです。

大正15年横浜ゆかりの建築家遠藤於菟の設計により、

「キーケン」の名で親しまれた生糸検査所は建てられたとのことで、

関東大震災復興期の建築としては最大規模を誇ります。

現在は横浜市の第二合同庁舎となっています。

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【万国橋】

関内と新港地区結ぶコンクリートアーチ橋。

みなとみらいの高層ビルと望む景色が人気で、

ドラマや映画のロケでも度々登場しています!

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【赤レンガ倉庫】

万国橋を渡り、目指すは【赤レンガ倉庫】なり~

このあたりから、徐々に人が多くなってくる。。。

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正面の方へまわり、あまりの人ごみにビックリ!!

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なんとま~ その日は「全国ふるさとフェア」が開催されてました。

アナウンスを聞いていると、その日はどうやら、花火大会もあるらしい。

どうりで、人が多いはず。

 

行く先・行く先 カップル&家族連ればかり・・・

(そりゃ~そうだろ~)

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そこでフト我に返って考える・・・

歴史探索で、意気揚々と横浜に乗り込み、

気付いたらカメラ片手にカップル&家族連れの中に

野郎が一人・・・   そして隊長は思う。。。

「淋しい~~~[E:weep]

 

いかんいかん

こんなことで、弱音を吐いていては、他の隊員に示しがつかない!

って、隊員俺しかいね~~~

(もういいか、このパターンは・・・)

そんなこんなで、なんとか気持ちを切替え、

赤レンガ倉庫の写真を撮りました。

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そういえば、【赤レンガ倉庫】を説明するの忘れてました[E:coldsweats01]

赤レンガ倉庫は、明治末期から大正初期に

国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物です。

創建当時から横浜港の物流拠点として活躍してきました。

横浜市では、『ハマの赤レンガ』と呼ばれ

多くの市民に親しまれてきたこの赤レンガ倉庫を、

貴重な歴史的資産として保存し、

また市民の身近な賑わい施設として活用するため、

平成4年3月に国から取得しました。

現在の赤レンガ倉庫を説明する必要はないかと思いますが、

【ブラタモリ】で赤レンガを訪れたタモさんが、

「本来は、船が来る海側が玄関口のため、正面はこっちの方なんだよ。

だから、みんなが入ってくる方は裏側で、こっちがメインなんだよ。」

って言ってました。  さすがタモさん、頭いいな~

 

【旧横浜港駅プラットホーム】

今回の一番の目的は、実はこのプラットホームだったんですよ~

これも、我が師匠のタモさん

(当然のことながら、タモさんの承認は得ていません、、、)

が【ブラタモリ】でこのプラットホームに登って

感動していたんですよね~(鉄道好きだからかな)

あの時のタモさん、ホントいい顔してたな~~

テレビでは、当時の人々が行き交う様子をCGで再現してました!

タモさんが満足している顔を思い浮かべながら、

同じ地に立って一人で喜んでいる隊長でした。

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プラットホームのご説明は

↓↓↓

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以上、横浜後編でした。

本当は、他にもあるのですが、長~くなってしまうので、

今回はこのへんで終了します。。。

また機会があれば、紹介させていただきますね!

 

PS

年賀状のコメントに、歴知隊入隊を希望された、

自由が丘にある某雑貨屋店 店長のS様

早急に面接をする必要がありますね~。

いろいろと入隊手続きが必要なので、是非新年会で打合せしましょう!

その際に、身分証明書/印鑑/通帳/入隊金¥10をお忘れなく[E:happy01]

【歴知隊~vol.8~(横浜前編)】

皆様、こんにちは!Sawada

歴知隊も来月で、1周年を迎えます^^

ここでご報告が・・・

①最近社内の者に「いつまで続けるの?」とよく聞かれます。

ご質問の意味(意図)が良くわからないのですが、

最低でもあと1年は続けますよ~~~

 

②このブログを見ていただいてる方々によく、

「れきちたい」と言われるのですが歴知隊と書いて

【れきしりたい】と呼ぶんですよ~~~

【歴史】と【知りたい】をミックスさせてるのです。

僕はともかく、他の隊員たちが可哀想で・・・

って、他の隊員いね~よ~~~

 

はい、ということで、今回は横浜は関内を探索をしました!

何故、関内かというと、

先日「ブラタモリ」の横浜編が放送されていたので

パクったのでございまする!

毎週ブラタモリ放送後に、

同じ所に行こうかな~と考え始めだした今日この頃。。。

でも、番組だけあって、一般人は普段入れない場所や

古地図を持ち出してくるあたりは真似できないな~[E:weep]

さすが、タモさんの力はすごい!

 

まずは、ネットで横浜の歴史を検索。

いくつかヒットした中から、下記のルートに決定!

距離でいうと、4km弱ですかね~

このあたりは、開港からの歴史がたくさんありそうなので、楽しみです^^

Map

そして関内に到着~~~

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ん~ 方向音痴な私は、まず、どちらに向かえば良いのか悩む。

そこで浮かんだ一言

「関内って、どこに向かえばいいか、わかんない~」

ん~ うまい!!! 誰かに伝えたかったのですが、

この日も当然のことながら一人旅の為

一人笑いながら、探索を開始するのでした。。。

(そのうち職務質問されるな~ こりゃ)

 

最初の探索はこちら【吉田橋】

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吉田橋は、日本最初の無橋脚鉄橋です。

現在の吉田町側から港町側の土手に架けられました。

作られた当初は鉄製ではなく、木製の橋だったそうですが、

明治2年に鉄橋として生まれ変わりました。

日本人にとって鉄製の橋は珍しく、

人々はこれを「カネの橋」と呼び、横浜名物の1つだったそうですが

「カネの橋」と呼ばれたのにはもう1つ理由があり、

吉田橋を渡る時、番所で橋銭という通行料を

払わなければいけなかったからだそうです。

ちなみに今はこの橋の下を高速道路が走っています。

 

【指路教会】

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1874年(明治7年)9月13日、

アメリカ長老教会の宣教師ヘンリー・ルーミスを

初代牧師として設立されたそうです。

いかにも洋式の由緒正しそうな歴史的建物って感じですね~

僕はどの宗教にも属しておりませんが、勧誘されたら、

断れずキリシタンになってしまうのではいか

と不安に思い、中には入れませんでした。

 

【馬車道】

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ここは有名ですね!

幕末の横浜開港にともなって、

関内近辺は外国人の居留地となりました。

外国人達は、その関内の長さ約1kmの道を拡張する事を要請し、

それが実現して街路樹等が整備されると道を

馬車で行き交うようになったそうです。

当時の人々はその光景に驚き、

「異人馬車」という呼び方をしてその姿を珍しがったそうですが、

馬にまたがることしかなかった日本人にとっては、そりゃ驚きですよね~

きっと、どや顔で通ってたに違いない。 

タイムスリップして、車であおってビックリさせいくらいです。

ここの通りが「馬車道」、

そして僕の名前が「まさみち」 

これは他人事では済まされない、死活問題ですね[E:pout] 

【神奈川県立歴史博物館】

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元は横浜正金銀行として、

正金(現金)による堅実な金融と

取引の円滑化による貿易の増進を促すために、

福沢諭吉と大隈重信らの援助を得て、国立銀行条例に準拠し、

1880年(明治13年)2月28日に開業しました。

現在は国の重要文化財にも指定されています。

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中に入るなり、天井にステンドガラスが。

その他、通路には、

横浜の歴史がわかる写真がたくさん展示してありました。

 

その展示の中に伝説のアイドル・・・

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ピンクレディまでもが展示されているではあ~りませんか。

ん~ この写真の感じからすると、やらされてる感がバリバリですね~

歴史とは関係ないですけど、

僕はこの時代のムッチリしたミーちゃんが大好きでした[E:coldsweats01]

僕がお金持ちだったら、こんな恥ずかしい目にあわせなかったのに[E:bearing]

ごめんね、ミーちゃん(一応ケイちゃんも・・・)

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後に気付いたのですが、館内は撮影禁止でした。

でも撮っちゃったので載せちゃいます。。。

個人的には、数百年前の歴史よりは、上の写真のような、

明治~昭和初期のリアリティが伝わる時代が好物です^^

 

以上、横浜編の前編でした!

 

おまけ~

先日、実家に遊びに行ったときのハプニング!

Photo

なんと、実家で飼っているカメ吉が、

窓のサッシをよじ登っているではありませんか~

すごいすごいと感心しているさなか、

力尽きたのか、落ちてしまいました。。。

さすが甲羅を身にまとっているだけあって、無傷!

母上に、「外に出たいのかね~?」と尋ねたところ・・・

「そんなことないわよ~、

ちゃんと散歩に連れて行ってるから」との返答。

ふ~んと思いつつ、カメを散歩? どうやって??

恐いので、その先は聞きませんでした、、、

 

でも・・・

帰り際、見送ってもらう際にカメ吉を抱っこしたまま

外まで来て手を振る母上。。。

車の中から、僕らを見送る母上を見て、

娘が「あれ、はたから見たらあぶなくね~」

と呟くのでした。。。

【歴知隊~vol.7~(港区:泉岳寺編)】

皆様、こんにちは!Sawada

 

ついこの前まで、暑かったのに急に気温が下がり・・・

朝自宅を出た瞬間に、なんだか甘い香りがして、

もう冬なんだな~と実感する今日この頃です。

そう考えると、今の日本は四季じゃなく二季ですね~

(しかし、あの甘い香りはいったい何の香り??)

 

さて、今回の歴知隊は、とうとう地元の大田区を脱出し、

お隣の品川区へ。

と思って、泉岳寺に行ったのですが、

泉岳寺って港区だったんですね~ 知らなかった。。。

 

ここ泉岳寺は、京浜急行の「泉岳寺駅」(品川駅の隣の駅)から

徒歩1~2分のところにあります。

(国道15号をちょっと入ったところです)

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ここ泉岳寺には、あの【赤穂浪士】が

眠っているというではあーりませんか!

先日、さまぁ~ずの番組で、

泉岳寺が取り上げられていて、初めて知りました・・・

身近にあるのに気づかないもんですね。

(歴知隊ならそれくらい知っておけって?)

余談ですが、さまぁ~ずのお二人は、

泉岳寺のすぐ裏にある、東海大付属高輪高校の出身です^^

 

それでは、いざ泉岳寺へ!!!

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っと、その前に、既に皆様はご存知でしょが、

念のため、赤穂浪士について、ご説明を。

元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)、

播州赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、

高家旗本・吉良上野介義央に対して

江戸城殿中において刃傷に及ぶ。

浅野内匠頭は殿中抜刀の罪で

即日切腹となり赤穂藩は改易となった。

遺臣である大石内蔵助良雄以下

赤穂浪士47名(四十七士)が

翌15年12月14日(1703年1月30日)深夜に

吉良屋敷に討ち入り、

主君が殺害しようとして失敗した吉良上野介を

家人や警護の者もろとも殺害した。

これを「元禄赤穂事件」と言いますが、

一般に皆様よ~くご存知の【忠臣蔵】でございます。

ちなみ播州赤穂は兵庫県西部

(丸栄日産明石本社からさらに西へ)にあります。

 

入り口のすぐ横に、大石内蔵助良雄様の銅像がありました。

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これも余談ですが、

至るところにあるベンチの全てに

「日本香堂」さんのお名前が。

いい仕事してますね~[E:wink]

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赤穂浪士のお墓に行く途中に・・・ こわ~い

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そして、いよいよ赤穂浪士のお墓へ!

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ん~ 2~3人くらいしか、わかりません。。。

 

さぁ、それぞれの人物像を勉強する為、

隣接している記念館へ!

って、やってね~~~[E:crying]

今の時間は・・・16:30・・・ トホホ

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ガックリしながら、泉岳寺を後にする隊長でした。。。

【歴知隊~vol.6~(品川:鈴々森・・・編)】

皆様、こんにちは~Sawada

先週末はかなり涼しかったですが、

今週からまた真夏に逆戻り(泣)

熱中症には十分気をつけてください!

のどが渇くと感じる前に、

水分補給しないと意味がないそうなので、

こまめに水分補給してくださいね~

 

今回、久しぶりに歴知隊の活動をしてきましたので、

アップさせていただきます!

そろそろ、大田区を脱出し、

江戸の町へと徐々に進んでいこうと思っております。

泉岳寺あたりは、いかがかいなと思考を巡らしていたところ、

その手前に歴史を語る上では避けては通れない場所が・・・

そこは、大田区と隣接している、品川は鈴々森・・・

鈴々森と聞くだけで、

既にお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが。

京急大森海岸駅から徒歩5分くらい?

周りには、しながわ水族館や大井競馬場もある中で、

国道15号沿いに1箇所だけ怪しげな場所があります。

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それは、、、

↓↓↓

あっと、只今夜一人で、作業していますため、一旦中止します。

何故かって??

そりゃ~怖いからです(震) 

(この夜の作業中止はホントの話です^^;)

私も、もう御年40歳となりますが、何か問題でも??

 

そして、翌朝作業開始!

続きいきま~す。

それは↓↓↓

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そうなんです、刑場なんです。。。

ここ鈴々森刑場は、

1651年に江戸幕府によって開設されました。

処刑に使用された火炙台(ひあぶりだい) や、

磔台(はりつけだい)の石台の他、

斬首した首を洗ったという首洗の井戸も現存しています。

正確な処刑者数は定かではありませんが、

閉鎖される明治4年(1871年)までの220年の間に

冤罪も含め10万人から20万人もの罪人が

処刑されたそうです(悲)

また、ここでの処刑は、

数々の人形浄瑠璃や歌舞伎などにも登場します。

八百屋お七、天一坊、平井権八、丸橋忠弥らは

実際にここで処刑されました。

 

人物像に関してのご紹介は長くなるため、

興味のある方は、↓でお調べください(汗)

 

八百屋お七

 ↓ 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE%E5%B1%8B%E3%81%8A%E4%B8%83

天一坊

 ↓ 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%80%E5%9D%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6 

平井権八

 ↓ 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E6%A8%A9%E5%85%AB 

丸橋忠弥

 ↓ 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E6%A9%8B%E5%BF%A0%E5%BC%A5

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しながわ百景って・・・

何だか意味合いが違う気がするけど。

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バリバリ真昼間の撮影、

だけど、ものすごーく、こわ~~~い(汗)

まぁ、僕自身は全く霊感がないので、

特別感じるものはありませんでしたが、

ここは有名な心霊スポットだそうです。

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これが、有名な「首洗いの井戸」・・・・・・・・

もうこのへんでやめておきます。

恐すぎて、気が進まないのでございます。

 

処刑が行われた石台のすぐそばにある札には、

「この地、鈴が森の刑場に団体で訪れ、

受刑者の諸霊に合掌することなく、

無神経な引率者の話を聞いた後、

立ち去る中高年齢が多く見られる。

今日の社会荒廃は年甲斐も弁えぬ者の

責任大であることを自覚せよ。

日本の心、礼節を知れ。心あらば合掌礼拝し、

受刑者霊の冥福を祈れ。」

という和尚様のお怒りの言葉が。

そのとお~り!!!

 

帰り際、合唱すると同時に

「僕は興味本位で来ているのではなく、

歴知隊の隊長として、皆に歴史を伝える義務があるのでございます。

どうかお許しください。

そして成仏してください。」と祈るのでした。

皆様も、決して遊び半分で訪れることはやめましょう。

 

ということで、合唱後、私と隊員達はこの鈴ヶ森を後にするのでした。

ん? 隊員達??

確か、僕の記憶によると、ワイフ除名後の入隊は・・・

ゼ~ロ~♪

ということは、後ろについてきている隊員達って???

 

ひょえ~~~~

【歴知隊~vol.5~(静岡:久能山東照宮編)】

先日(と言ってもだいぶ前になりますが)

知人に会うため、静岡は清水へ行ってきました~

当然のことながら、出かける前に近辺にある歴史を検索したところ、

なんと、徳川家康の遺骨が埋葬されている東照宮がヒット!

知人と別れた後、例のごとく一人で・・・ 探索してきました。

 

考えてみれば、駿府城も静岡にあるので、

不思議ではないですが正直、東照宮といえば

「日光」しか出てこない無知な私にとっては、

棚から牡丹餅でございました。

 

では早速探索かいし~~

っとその前に、久能山東照宮について記載してあったものを

引用してご紹介しておきます。

晩年を駿河国(現在の静岡県)駿府城で過ごされた家康公は、

元和2年(1616年)4月17日に75年の生涯を結ばれました。

亡くなる直前、余命いくばくもないことを悟られた家康公は

家臣たちに「遺骸は久能山に埋葬すること」を遺命として託されました。

ご遺命の通りに遺骸はただちに久能山に遷され、

二代将軍徳川秀忠公は久能山に徳川家康公を祀る神社を

造営することを命じました。大工棟梁には中井正清が選ばれ

同年5月に着工、1年7ヶ月の期間で建てられたのが

久能山東照宮です。

社殿は当時最高の建築技術・芸術が結集された「権現造」の様式で、

平成22年に国宝に指定されることが決まりました。

とさ、長々と失礼しました・・・

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入り口は、意外と平凡で、

「ホンマ、ここに眠っておるんかいな?」と思いながらのスタート

 

なめてました・・・

あの上まで行けば良いんだな~と軽い気持ちで行ったものの、

想像以上にハード~~~

と思うと同時に自分の体力なさを痛感しました・・・

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え~、こんなに登ったんかいな~

そりゃ、疲れるわ

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やっと着いたと思いきや、門衛所??

そしてまだ階段がチラっと・・・ ひょえ~~

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やっと門に辿り着きました!

 

ん?? 家訓ではなく、御遺訓??

ん~~ 日本人らしい! 

この時代から自己犠牲心が生まれていたんですね~

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そんでもって、家康公の手形が・・・

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家康、ちっちゃ

なんだかわらない優越感が^^(他は何一つ勝てるものなし)

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ツアーガイドさんが国宝の話をしているのを盗み聞きし、

説明を聞きながら写真を撮る観光客の方々に紛れて撮影。

おそらく、この写真の何かが国宝に値するのだと思われます^^

チラチラと観光客の方に「あんた誰?」みたいな顔をされていたので、

ちゃんと聞けませんでした・・・

 

そして!!!

↓↓↓

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一番奥に家康公が眠っておりました!

 

以上、久能山東照宮でした。

15代(約260年?)続いた、徳川家。

普通に考えれば、とてつもないことですが、

信長や秀吉と比べるとあまり人気がないのは残念。。。

「今自分がここに居るのは、あなた様のお陰です。

ありがとうございました」と

お礼を言いながら帰るのでした。

(と言いながらも特別家康ファンではございません。悪しからず)

歴知隊・番外編(by.明石)

こんにちは。

関西営業担当の乗田です。Norita

 

東日本大震災から49日が過ぎました。

まだまだ多くの方が避難され、

大変な日々を過ごされているかとは思います。

がんばろう!日本 を合言葉に、関西からも応援していますので

東日本の皆さん・・・頑張って下さい!![E:scissors] 

さて、こんなときこそ、ホッとした気持ちになってもらいたくて、

今回は、「花」をテーマに書いてみたいと思います。

 

今、東北地方の桜が見頃だと、テレビで拝見しました。

ほんと、“桜”って心和みますよね。 [E:happy01] 

今年も、私の家の横にある桜の木が満開になりました。

でも、風や雨の日が多くて、すぐに散ってしまいました。  残念・・・[E:weep]

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でも、今、八重桜が満開です。

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こんなにたくさんの花びらをつけて、元気に咲いてます。

 

予断ですが・・・。

  花びらが、5枚までを「一重」

  5~10枚が、「半八重」

  10枚以上が「八重」 っていうそうです。

 

それと、100円硬貨の表って、

桜の絵が描いてあるってご存知でしたか??

 

ところで、私の住んでいる神戸市西部に位置する神出町には、

雌岡山(めっこうさん)と雄岡山(おっこうさん)という2つの山があります。

 

淡路から見れば、左が雌岡山で、その雄姿は富士山にも似ていることから、

「神出富士」とも言われています。

 

そんな、雌岡山山頂近くに、カタクリの花の自生地があるんです。

数年前から、カタクリの花を保存する動きがあり、

今では、たくさんの花が咲き誇っています。

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朝早かったので、まだ花びらが下を向いてしまっていますが、

クルンっと、百合の花みたいに上に向いてくるんです!

 

この時に初めて知ったのですが、カタクリの花って、

東北地方の山野に自生する多年草だったんです。

東北地方に咲く花が、こんな遠くの神出で咲いているなんて、

なんかうれしいですよね!

神出町民として、大事にしていきたいものです。

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雌岡山で咲くカタクリも頑張って、根をはり、

数が増えてきつつありますので、東北の皆様も頑張って下さい![E:good][E:up]

 

そして、番外編の歴知隊。 by明石編

 

明石の地名由来

 

雄岡山と雌岡山は、

遠くから眺めると子牛の角のように見えたことから、

男牛(おご)、女牛(めご)と言われていました。

神話によると、雄岡と雌岡は夫婦の神で、

男神の雄岡が小豆島の美人神に惚れたことから、

妻が止めるのもきかず鹿に乗り会いに行きました。

その途中、淡路の漁師に弓を撃たれ、

男神と鹿は共に海に沈んでしまいました。

すると、鹿はたちまち赤い石になり、

ここから「赤石」→「明石」となり明石の名称の起こりとも言われています。

 

と、ネットで調べちゃいました。[E:happy01]

 

さて、ゴールデンウィークに突入です。

皆さんは、お休みをどう過ごされますか?

弊社も、5/1(日)~5(木)までお休みをいただきます。

お取引様には、ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いいたします。

 

それでは、お仕事の方は頑張って下さい!

お休みの方は、お怪我のないよう、楽しんで下さいね[E:happy01]

【歴知隊~vol.5~(梅屋敷公園編)】

皆様、こんにちは!Sawada_2

随分と間を空けてしまいました・・・

 

今回も大田区シリーズでございます。

最初に有名なところを出しすぎて、徐々にしょっぱくなっていきますが

それこそが【歴知隊】の真骨頂!

地味~な所を案内するのも、歴知隊の醍醐味なのです。

 

今回は、その地味~な梅屋敷公園を紹介します!

ここ梅屋敷公園は、国道15号沿いにあり、

江戸を行き来する人々の言わば休憩所みたいなところでした。

梅屋敷の由来は、

山本忠左衛門が和中散(道中の常備薬)売薬所を

開いた敷地三千坪に梅の木を植え、

東海道の休み茶屋を開いたことに始まると言われています。

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公園内に日本橋までの距離を【距日本橋三里十八寸】

と記した石碑がありました。

梅屋敷公園を出た国道沿いには、【日本橋15km】

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これは、調べないと!

 

早速、webで調査したところ、1里=約4km 1丁=約110m

ということは、12km+1980m=13.98km??  

あれ1km合わない・・・ 

これは一大事!!!   引き続き調査し、また結果報告します!

 

 

脱線してしまいました・・・。

江戸時代には、十二代将軍の徳川家慶が鷹狩りの休み所とした程の

屋敷で、その雅趣ある風情は多くの文人、行楽客、

東海道の旅人を集め、

特に梅の開花期には非常なにぎわいを見せていました。

 

【梅屋敷事件】

文久2年(1863)11月13日、高杉晋作・久坂玄端らの

横浜襲撃計画をしらされた長州藩は、

止めさせるため藩士11人を向かわせ、自らも説得のため出向き、

高杉らを待ったのが梅屋敷だったそうです。

説得には成功しましたがその後の酒宴で周布政之助が

土佐藩主山口容堂を非難誹謗したことにより

土佐藩士との間で諍いとなりました。

これが、梅屋敷事件と言われるものです。

 

その他、明治天皇・伊藤博文・木戸考充などの著名人が

ここ梅屋敷に訪れているようです。

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そう考えると、梅屋敷というところは、侮れないないですね~~

 

現在は、所有者も変わり、面積も小さく(というよりかなり小さいです)

なりましたが、区立公園として、約30本の梅の木が植えられています。

撮影した時期が昨年だったため、まだ梅の花は咲いていません・・・

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国道15号から、約800mくらい? にぎやかな商店街があります。

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テレビにもよく出るお店もあったりします。

通るだけでも、結構楽しいので、機会がありましたら、

寄ってみてください^^

 

以上、梅屋敷でした~~

【歴知隊~vol.4~(洗足池編)】

皆様、こんにちは。

前回は番外編を掲載しましたが、

またまた地元・大田区シリーズに戻りま~す。

 

ウォーキングも兼ね、

勢い余って自宅から出発したものの、とおい~~~

産業道路から環状7号線~中原街道を通るルートなのですが

(地元ネタでスミマセン)

1時間経って約半分・・・  

この時点で電車でのルートはなく、選択肢は歩くのみ。

進むも地獄・退くも地獄、ならば進むしかないでしょ~

ということで、洗足池に到着!

(言うまでもなく、ワイフは除名させたので、

今日も一人旅でございます)

(帰りは、これまた言うまでもなく、

即決電車で帰ったのでありました・・・。)

 

 

ここ洗足池は、中原街道沿いにあり、

池のある公園としては都内屈指に広さを有します。

(ボートもあるんですよ)

ちなみに中原街道は中世以前から続く古道で、

徳川家康によって、江戸時代の東海道が整備されるまでは

東海道の一部としても機能していたそうです。

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ん? なぜ、洗足池に来たのか?

そう、ここ洗足池には【勝海舟夫妻】のお墓があるのです!

江戸総攻撃中止と江戸城無血開城を

西郷隆盛に直談判するため、官軍の薩摩勢が本陣をおいた

【池上本門寺】へ向かう途中、洗足池のほとりで休息したそうで、

明治維新後、この景色を気に入り移住したと言われています。

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亡くなっても、夫婦並んでいるなんて、羨ましいですね~

僕の横にワイフは眠ってくれるのだろうか?? とふと考える。

 

そして、その横には・・・

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「西郷隆盛留魂碑」が建っています。

これは、西郷が西南役に倒れた後、

当時の東京府南葛飾郡の浄光院境内に

勝海舟が自費で建てたものです。

ライバルでもあった、西郷どんに敬意を表する勝さん、

あなたは立派です!

実際に、西郷どんも、ここを訪ねて歓談したと言われています。

 

以上、洗足池編でした。

お墓は質素に建立されておりますが、

洗足池は自然をいっぱい感じられる所なので、

機会があれば、是非行ってみてください。

そういえば、僕らが学生の頃、

洗足池のボートにカップルで乗ると、幸せになる?

不幸が訪れる? どちらか忘れてしまいました・・・

なので、どなたか一度試してください。

そして、幸せになったら、ご一報ください。 

不幸にが訪れたら、申し訳ないですm(__)m

 

rekishiritai2010_1201@yahoo.co.jp

【合格祈願&歴知隊番外編】

東京営業所の澤田です。

本年も宜しくお願い致します!!!

 

いよいよ本格的に寒くなってきましたね~

そろそろ毎年恒例のタイツを穿く時期がきました[E:happy01] 

今年は我が家の一大イベントである

長女の高校受験が控えています。。。

特別信仰はないのですが、

「困ったときの神頼み」ということで、

学問の神様 【菅原道真公】を祀っている

【湯島天神(天満宮)】へ行ってきました。

 

いや~ しかしすごい参拝者数で、

なかなか前に進みませんでした・・・

これだけの(しかもここだけじゃなく)

参拝者にお願いされる神様って、大変ですね~

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しかも、合格祈願の絵馬の数が尋常じゃない!

これは一部ですが、至るところに奉納されております。

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そして我が娘の絵馬でございます!

「神様、娘がどうか志望校に合格できますように!(祈)

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そして、湯島神社を後にして、

帰路の途中に見てしまった看板が

↓↓↓

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お~~~ 弥太郎~~~

恥ずかしながら、ここ湯島に、

旧岩崎邸があるとは知りませんでした・・・

(テレビではちょくちょく拝見していましたが)

この日は他にも行くところがあり、

あまり時間がなかったのですが、家族に談判し、

何とか許可をいただきました^^

娘たちは歴史に全く興味がない為、

その間上野で買い物をすることに。

さて、それじゃ夫婦で行こうかと思ったその時に、

ワイフから信じられない一言が「私も買い物に行きたい」

えっ[E:sign02] お前は歴知隊№2のポジションのはず・・・

頭にきた私はワイフに言ってやりました、

「あっ そうか。 じゃあ仕方ないな。俺一人で大丈夫だよ」って

情けな~・・・

心の広い私は一人で旧岩崎邸に向かう途中、

「あいつ絶対に除名してやる」と心に誓ったのであります。

 

気持ちを切り替えて、いざ岩崎邸へ

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明治29年に完成。

当時は15.000坪の敷地に20棟以上の建物があったそうで

現在は、洋館・和館・撞球室(ビリヤード場)の3棟が

残されております。

残念ながら、館内は撮影禁止の為、

外観しか撮影できませんでした。

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左上の写真は、日本で始めての【ベランダ】だそうです。

ところでベランダとバルコニーの違いをご存知でしょうか?

A)上に屋根があるのがベランダで、

  屋根のないのがバルコニー らしいです。

ブラタモリで旧岩崎邸の放送があった際に言ってました[E:happy01]

 

また、右下の別棟が撞球室(ビリヤード場)です。

こんな時代から、ビリヤード場を作ってるなんて、

すごいですね~

 

以上、歴知隊番外編でした。

ということで、

隊員が増えるどころか、一人になってしまいました・・・。

今なら、№2の座があなたに!

↓↓↓

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【歴知隊~Vol.3~(池上本門寺後編)】

皆様、こんにちは。

池上本門寺・後編です!

 

本門寺を代表する重要文化財の【五重塔】でございます。

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関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔です。

本塔のそもそもの発願は、のちに徳川2代将軍となる秀忠公の

病気平癒祈願にあったそうで、

熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のち正心院)が、

大奥より池上へ日参し、あつく帰依していた第12世日惺聖人に

病気平癒の祈願を託され、快癒したお礼に、将軍となった後、

慶長12年(1607)に建立〔露盤銘〕、

翌13年に上棟式を厳修したそうな。

あの大奥から、この本門寺に・・・ 感慨深い・・・

 

 

そして、この【お会式桜】

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本門寺では、年間行事の中でも大イベントの

【お会式(おえしき)】が毎年10月に行われます。

日蓮聖人が亡くなった10月13日を中心に

全国各地で行われるそうですが、

日蓮聖人が御入滅された霊跡である池上本門寺のお会式が

もっとも盛大に行われます。

そして、お会式桜という看板があるので、読んでみると・・・

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お会式には、何度も行っていますが、

たしかに10月なのに桜の造花やまといがあった気が・・・

なんと桜の木をよ~く見てみると

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「ホンマ、咲いとるがな~~~」

この写真を撮った時は、11月・・・

恐るべし、日蓮聖人様

 

 

ちなみに、お会式はこんな感じ

夜店もいっぱい出てて、とにかく多くの人で賑わってます。

↓↓↓

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最後に、前回のブログで予告した、

昭和の大スターがここ本門寺に眠っています。

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そう、力道山です!

毎年、節分の日には、プロレスラーや力士

その他多くの著名人が豆まきをします。

小学生の時は、ジャンボ鶴田がまいた豆を拾ったな~~

ちなみに、力道山のお墓は、本門寺の奥の方にあり、

僕らの時もそうだったように今でも、小・中学生の間では、

肝試しの名所? にもなっています。

お化けが嫌いだった(今でも嫌い)私は、その当時、

力道山が大嫌いでした・・・

まぁ、力道山にしても、頼んだわけでもなく、

いい迷惑だと思いますけど。

 

約700年の歴史ある池上本門寺、

なんと勝海舟&西郷どんの会談も行われたそうです。

皆様も機会があれば、一度探索してみてください。

以上で池上本門寺探索を終了しま~す!

 

隊員募集中!

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