【歴知隊~vol.22~(虎ノ門~浜離宮編前編)】

オ~! ゆけニ~ッポ~ン! ニ~ッポ~ン! ニ~ッポ~ン! ゆけニ~ッポ~ン!
(オイ! オイ! オイオイオイオイ!)
ワールドカップ出場おめでと~~~う
相変わらずヒヤヒヤもんでしたが、まぁ由としよう!

以前から、オーストラリ戦では、オージービーフを食らいながら観戦しようと思って

いたのですが、何を血迷ったか、当日に今マイブームのスンドゥブを作ってしも~た

(当然甘口)

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急遽、スーパーに買いにいくも、売っておらず・・・  オージービーフ食べてたら引き分け

じゃなく、勝ってたかもな~

 

さて、今回のNEWシリーズではオフィス街の虎ノ門~再開発でめざましい発展を遂げた

汐留を探索します。

「江戸の大名屋敷を歩く」という本をアマゾンで購入♪ いくつかある探索ルートの中の1つ

が今回の虎ノ門~浜離宮となります。

本では、所要時間:2~3時間と書かれておりましたが、実際は・・・

昼食&迷子(迷オヤジか・・・)になった時間を含め、約5時間 いや~ほんときつかった~

んでも、普段では気付かない場所なども多々あり、充実した1日を過ごせました。

今回も前回同様に一人旅(あっ、チッチは今回不参加どえす)

でもこの探索にワイフを連れて行ったら、ブ~イング間違いなしだったな・・・(ホッ)

 

まずスタートは「虎ノ門」

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11番出口に登る途中の踊り場に江戸城外堀跡の石垣が展示されております。

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さすが文部科学省と言いたいところですが、この踊り場行くには階段を使用しなくてはいけ

ないことと(エスカレーターでは通過)、ほとんどPRされていないのが残念。

 

11番出口を上がりきったとこにも痕跡が

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この内側が、延岡藩内藤家(宮崎県、7万石、譜代)の上屋敷だったそうです。

 

ここで豆知識~

大名屋敷には上屋敷、中屋敷、下屋敷の区別がありました。

上屋敷=藩主が江戸に居る際過ごす場所で江戸大使館のようなものです。

              比較的江戸城に近い場所にあります。

中屋敷=隠居、あるいは世継ぎが住む場所で、位置的には上屋敷に比べ江戸城からやや

              遠い場所にあります。

下屋敷=別荘、別邸といった趣のもので、郊外に近い場所にあります。

これらの上中下の屋敷の土地は幕府から貸し与えられるもので、自由に使っていいものの、

いつでも召し上げられる可能性を持っていました。

 

 ということで先に進みま~す!

11番出口を出て、外堀通りを渡るとすぐに商船三井ビルがあります。

その敷地脇に、外堀では数少ない櫓の台座跡がありました。

ここは案内板も何もないので、こういったような本を読まない限り気付かないでしょうな~。

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商船三井ビルの裏には、かつての外堀通りの道が存在します。

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そして、この通り沿いに大きな神社があります。

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ここは「虎ノ門金刀比羅宮」です。

もともと金刀比羅様は讃岐国(香川県)の神様で、この神社は、丸亀藩京極家

(香川県、5万1千石、外様)が1660年に三田にあった藩邸内に勧請したもので、上屋敷が

虎ノ門に移った際、移転してきました。以来、江戸っ子の崇拝が厚く、毎月10日には邸内を

開放して参拝を許したといいます。(器がでかい!)

 

かつての外堀通りをそのまま六本木方面へと向かうと途中に虎ノ門病院がありますが、

その一角は、佐賀藩鍋島家の中屋敷だったそうです。

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この道の突き当たり手前に「ニッショーホール」との看板が出ており、ビルのエントランスに

向かうと小さな噴水があります。

これは、「義士洗足の井戸」を記念するものです。

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江戸時代中期、ここは大目付だった※旗本仙石伯久尚(だれだ??)の屋敷がありました。

吉良邸討ち入りのあと、大石内蔵助はじめ本隊は、吉良上野介の首を持って泉岳寺に向か

いましたが、2名をこの屋敷に派遣し、幕府に吉良を討ち取ったことを報告させています。

今で言う自首みたいなようです。

2名は屋敷にあった井戸で足を洗い、座敷に上げられて丁重な扱いを受けたと言います。

その故事をこのオブジェは記念しておるそうな。

※     旗本仙石伯久尚

↓↓↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E7%9F%B3%E4%B9%85%E5%B0%9A

 

突き当りを左に曲がると、「江戸見坂」があります。

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たしかに江戸が見渡せただけあって、きつい坂でした

その坂の右側は大倉財閥を創立した明治時代の企業人、大倉喜八郎の邸宅があった場所

ですが、江戸時代には川越藩松平家(埼玉県、17万石、親藩)の上屋敷がありました。

今は大部分がホテルオークラでございます。

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ん~、腹が減った~

ここで贅沢してランチでも・・・ しかし私の格好はTシャツに短パン・・・

あえなく断念

 

この坂を上りきったところにはアメリカ大使館がありました。

本には「警備が厳しい区域ですから、挙動不審に見られないように!大使館の写真を撮る

と必ず警察官が話しかけてきます」と書かれています。

どうしよう? この風貌からすると確実に職務質問にあいそうだけど、何も悪いことしてないし・・・

よし、撮ってまえ! ということで撮影しましたが、これといって何もありませんでした。

それはそれで期待はずれ~~~

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毎度のことながら長くなってしまいましたが、今回はここまで!

 

 

 

おまけ~

チッチが5月6日に1歳の誕生日を迎えました~

家族みんなで多摩川の土手で記念撮影

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 いつもはバラバラだけど、変なとこで団結力を発揮する澤田家でした

意外と仲いいでしょ??

 

 

 

【歴知隊~vol.21~(大田区羽田後編)】

皆様、こんにちは~!

未だに暑いんだか寒いんだかわからない天候ですね

「お天道様~、いい加減に衣替えしたいんですけど~~~」

ということで、今回も羽田編を引続きUPしていきます

 

前回ご案内しました海沿いの堤防からタモさん達は内陸へと進んでいきます。

もちろん、私とチッチもピッタリとタモさんをマーク

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2年以上前ですが、現在もWONDAの自販もそのままです。

と思いきや、¥100シールが貼れていました!

間違い探しでも、なかなか気付かないかも

 

 

ここで、都市史家の岡本さんが面白い仮説を立てていました。

なんでもこの地帯は、鎌倉時代の道と江戸時代の道がそのまま残されており、

その道が融合されている場所があると言うのです・・・

説明し難いので、ブラタモリの画像を編集して説明します。(ある意味自家製です)

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江戸時代の道はどちらかというと漁場に向かって真っ直ぐなのに対し、

鎌倉時代は斜めになっています。

 

それがわかるという「鴎稲荷神社」にチッチと一緒に行ってきました。

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そして、その融合された道がこれだ

↓↓↓

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これでも、タモさんが跨いでいるように、チッチも跨がせているつもりです

でもこれ本当なのかな??

 

お次は、稲荷橋です!

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私も何度か通ったことがありますが、確かに「変な橋」と思っていました。

ちなみにこの先は羽田空港となっております。

 

その理由は・・・

昔はこの先には「穴守稲荷神社」があり、この道は参道だったそうです。

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右下の写真は、必殺ブラタモリのCGによる再現です!

電車も通っていたんですね~ (線路探してみましたが、さすがにありませんでした)

詳しく調べたところ、敗戦直後の1945年9月13日に羽田の飛行場が「GHQ」に接収され、

8日後の21日には現在の空港内に住んでいた約1.200世帯(3.000人)に対して、48時間

以内の強制退去命令が下され、住民は着の身着のままで周辺地域への移動を余儀なく

されたそうな

ちなみに、占領下の立ち退き命令だった為、事前交渉や保障などもありませんでした。

当然のことながら、穴守稲荷も退去の対象となり羽田3丁目に移されたそうです。

これは有名な話ですが、穴守稲荷神社移設に伴い、鳥居も取り壊されることになっていま

したが、けが人が続出し、祟りが・・・と騒がれ、その後しばらくの間は敷地のまんまん中に

残りました

(米軍から施設が日本に返還され、東京国際空港として再出発した後も残っていました)

戦争のことは、私が軽々しく語るべきではありませんが、その当時に生きてこられた方は

本当に大変だったと思いますし、今日の日本を築いてくれたことに改めて感謝します!

あれ、ちょっと暗い話になってもうた・・・

 

そして最後に、移設された穴守稲荷に向かい、チッチと参拝するのでした。

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以上、大田区は羽田編でした~~~

 

 

おまけ

東京駅の丸の内口に3月21日にOPENしました「KITTE」に行ってきました~

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ここ「KITTE」は日本郵便が初めて手がける商業施設で、「KITTE」というネーミング

は「切手」と「来て」2つの言葉に由来します。

それぞれのフロアのテーマも【全国ご当地銘品フロア】・【日本の美意識のフロア】

【古(いにしえ)と新しい感性の融合フロア】など個性的で他の商業施設とは異なり、

新たな個性を発揮したショッピングスポットです。

 

幣社得意先の【Floyd】さんも出店しております!

ハイセンスな雑貨がたくさんありますよ~

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http://www.floyd.jp/

 

今は大半が観光客で、夕方以降は仕事帰りのOLさんで賑わっています。

実際に私が行ったときも、エスカレーターで行列ができていました。

 

また上のフロアには、郵便局長室が残されており見学できるようになっています。

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この旧東京中央郵便局長室は歴史的建造物の保存とあわせ、東京中央郵便局

の歴史を継承する空間として、1931年の創建当時の雰囲気が感じられるよう、

内装を保存・再現することにしました。

って書いてありました

 

その局長室から見た東京駅!

↓↓↓

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是非、機会がございましたら、足を運んでください

 

【歴知隊~vol.20~(大田区羽田①)】

皆様、こんにちは!

暖かいと思ったら、急に寒くなったりと・・・ 体調管理には十分気をつけてくださいね~

 

さて、今回はブラタモリ&チッチのコラボで羽田編をお送りいたします。

最近、いろいろと忙しくて遠出しての探索が厳しく、どっか近場で見落としはないかな~

と考えていたら、約2年前にブラタモリで羽田を放映していたことを思い出しました。

探索当日はワイフが仕事だったので、チッチの散歩も兼ねて2人での探索と相成りました^^

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タモさんの訪れた場所を網羅しようと思いましが、番組の冒頭は空港の滑走路・・・

さすがに空港の滑走路は私の力では行けません[E:weep] 

 

羽田の歴史・・・

あまり印象にはなかったのですが、昔は行楽の場として賑わっていたようです。

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それでは、チッチと出発~~~

私の自転車はカゴがなく、ワイフに自転車を借りました。

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まず、最初に訪れたのは、海沿いの赤レンガ

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左側のおじ様は、都市史家の岡本さんと申すのですが、この方が登場する前にタモさんが赤レンガを見てすぐに、堤防と予想していたのです!さっすがタモさん、相変わらず頭いいな~

 

 

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出来るだけ、タモさんと同じ場所で同じポーズを再現しようと考えていましたが、こちらは

チッチと2人だけ・・・ チッチに頼んでも当然のことながら知らん振り[E:coldsweats01]

仕方なく1人で撮影するも、結構、この道は人や車の交通量が多く、傍から見たら、

ただの変なおじさん??

またこの撮影時、クリアファイルに入れていた散策資料が風に舞ってあちらこちらに。

数名の方が一緒に拾ってくださったのですが、ブラタモリの写真もあったりで、

ちょっと恥ずかしゅうございました[E:weep]

ご主人様がこんなに恥ずかしい思いをしている時でもチッチは

↓↓↓

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堤防の下を覗くタモさん。同じ場所で覗いている先を私が撮影!

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うんうん、たしかに湾曲してる!

 

 

さすがテレビだとCGでこんな再現ができるんですね~

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そして最近気に入っている撮りかた[E:happy01]

写真は詳しくないですが、なんか格好良くないですか??

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昔の写真と同じ場所を探し、撮影!!!

この堤防、2㎞くらいあるので探すのに苦労しました・・・

たぶん、ここであっていると思うんだけどな~?

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まだ1ヵ所しか案内していないのに、気付いたら、かなりの枚数になってしまいましたので、

このへんまでにしておきま~す!

 

帰宅後のツーショット!

チッチは甘えん坊で、家に帰るとまず、足元で仰向けになりながら「撫でろ」と手招きします・・・

しばらく撫でて、チッチから逃げるようにソファーで一休みしていると、ご覧のとおり・・・

子供もまともに教育できず、チッチだけは、きちんと仕付けようとした結果がこれ[E:weep]

ホントにダメ親父です トホホ。。。

↓↓↓

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おまけ~

澤田家近況報告~~~

次女が今週無事に中学校を卒業しました!

長女に劣らず、下の娘もいろいろあっただけに感極まるものが[E:crying] 

卒業式の時に発見した垂れ幕

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これって、もしかして今流行の・・・

「いつするの? 今でしょ!!」

 

 

 

そして娘の卒業証書授与

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時代なのか、教育の問題なのか、1クラスに2~3名はこの授与の際に、

様々なパフォーマンスを見せてくれました[E:happy01]

【ゲッツのポーズ】 【フライングゲットのポーズ】 【ムーンウォーク】etc

当然のことながら、来賓の方々や父兄のいる手前、ほとんどの生徒が担任から

「やりなお~し」と叱られていましたが、【フライングゲットのポーズ】だけは、授与された後の

パフォーマンスだったため、そのまま見逃されてました[E:wink]

ちなみに娘も何やら企んでいたようですが、直前で怖気づいて普通に受け取っていました。

この気の小さい性格は誰に似たのかな??

それにしても、担任と校長先生にしてみれば、たまったもんじゃないですね[E:coldsweats01]

 

 

 

まだ開花していない桜の木がある正門にみんな集まり、各々記念撮影♪

ん~ 卒業式って感じですね~

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そして最後に「イツメン」と記念撮影!

ちなみに「イツメン」って意味わかりますでしょうか?

当初聞いたときは、イケメンが進化して、逸材の男という意味かと思ったのですが

「いつものメンバー」だそうです[E:coldsweats01]

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娘は、中学卒業で人生が終わったと言っています[E:happy01]

たぶん、仲の良い友達と別れることや、新しい学校へ行くことへの不安もあるのでしょうけど・・・

まぁ、しばらくはイツメンとつるんで、やがて新しい友達と出会い、今までにない経験を積み重ね

人として徐々に成長していくことでしょう。

反面、義務教育が終わり、これからは自らの責任で生きていかなくてはいけません。

今は何を言っても頭に入らないようなので、温かく見守っていきたいと思う今日この頃です^^

って偉そうなこといってますが、只今私も成長中[E:crying]

これまさに「己の頭の蝿を追え」 http://kotowaza.avaloky.com/pv_fre21_02.html

他人のことはよく見えますが、意外と自分のことは見えないものですね~

反省 反省・・・

【歴知隊~vol.19~(品川旧東海道編③)】

東京営業所の澤田です。

先週、ギフトショーと同時期に開催されました、

合同展示会【MONTAGE】も、おかげ様で好評のうちに閉会しました!

ご来場いただきましたお取引様並びに関係者の皆様、この場をお借りして御礼申し上げます。

 

さて、この品川東海道編は今回が最終回となります。

本当はもっと多くの場所を探索したのですが、うまく伝えきれない箇所も多く、

お蔵入となった写真も多々ございます。

そう考えると芸人さんがよく言う、数時間の収録やロケで使われたのが

たったの数分とぼやいていますが、編集する側に立つと多少わかる気がします。

ホント多少・・・

まぁ、私の場合は一人でロケして一人でカット・編集ですけど[E:coldsweats01]

 

では、恒例の自家製マップから

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前回が④までだったので、今回は⑤の山内豊信殿のお墓からですね。

ちなみ、マップにある伊達家下屋敷跡にも行ってみましたが発見できず・・・

地図によれば、場所は国道15号から大井町駅に行く途中にあるようです。

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余談ですが、15号からここまでの間には上り坂があります。

下屋敷跡の確たる証拠がないと判断したワイフは、坂を上らずに第一京浜で待機。

一人で戻る途中の下り坂で、「アイツ、案外賢いの~」と感心する。

ん? ただ単に上り坂を拒否っただけ??

まぁ、一緒に付き合ってくれているだけでも感謝しないとな~

 

そんなこんなで、第一京浜に戻り、土佐藩主・山内豊信殿のお墓へ!

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龍馬伝では、豊信役を近藤正臣さんが演じておりました。

豊信というよりは、容堂の名前が使われていましたね~

容堂という名は、隠居後の名前で、近藤さんはお爺ちゃんみたいでしたが、

実際は45歳の若さで亡くなっております。無類の酒好きだったこともあり、

龍馬伝ではほとんど酔っ払っていた記憶が・・・

詳しくはWEBで[E:bleah]

↓↓↓

http://www17.ocn.ne.jp/~tosa/yodou/yodou01.htm

地図で見ると、間部家下屋敷跡近辺にありますが、小学校建設により改葬されたそうな。

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板垣の退ちゃん同様、容堂殿のお墓も、大政奉還の建白を果たした大名のお墓とは

思えないほどの状態で、ちょっと寂しくなりました。。。

品川区さん、指定史跡なら、もう少し整備してあげてくださ~~~い と切に願いながら、

次の目的地である「浜川砲台」へと向かうのでありました。

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なんだって、ペリー艦隊がこの先に??

龍馬も警備していたように、その当時の気持ちと重ね、いざ出撃に!

ペリー艦隊発見~~~

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「って、おい! しかも龍馬も仲良く一緒にいるやんか~」

これって、関西でいうとこのノリツッコミで良いんですか??(なんか違うな・・・)

関西の皆様、気を損ねたら申し訳ないです。。。

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真面目に説明しますと、自家製マップの旧東海道から砲台跡までが、

土佐藩の「抱屋敷」で896坪ありました。

ここで土佐から送られてくる物資の荷揚げをし陸上に上げていたそうで、

ペリー来航の翌年に幕府の許可を得て、砲台を造りました。(2300坪に拡大)

警備陣は山内家下屋敷を宿所とし、現在の立会川商店街を行き来していたとのこと。

その道が

↓↓↓

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道幅はそのままで残っており、ここを龍馬も行き来していたんですね~ 

この先が立会川駅です。立会川駅には高知市より贈呈された龍馬像がございます。

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大きさは、一緒に写っているお婆ちゃまを参考にしてください。

ちなみに、このお婆ちゃまの身長は私の記憶が正しければ、143.5㎝だったと思います[E:happy01]

 

そして、最後の⑧「鈴が森刑場」は以前にもUPしていますので、そちらをご確認くださいませ。

↓↓↓

http://freewill.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/08/vol6_7dce.html

 

以上、品川旧東海道編でした!

 

 

おまけ~

澤田家近況報告~~~

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①お正月にテレビに夢中の私。知らない間に娘に食べられそうになりました[E:coldsweats02]

私を食べようとしているのが次女、手で微調整しているのが長女の姉妹合作でした。

 

②正月はワイフが仕事で、暇をもてあましていました・・・

チッチを自転車に乗せ、川崎大師へ。 気合のおみくじはなんと「凶」・・・

社長、今期は(今期も?)私に期待しないでください[E:bearing]

 

③次女が高校受験に合格しました~~~(すべり止めですけど・・・)

何はともあれ、一安心。。。 ホント良かった(ホッ)

 

④♪明日は特別スペシャルデー 1年1度のチャンス・・・ バレンタインデ~ キッス♪

ワイフがシフォンを作ってくれました~(義理か本命かは??)

ん~、昔は1週間前くらいからソワソワして、当日は「おれには関係ないね」

 と装う自分を 思い出す[E:coldsweats01] あのころ君は若かった~

【歴知隊~vol.18~(品川・旧東海道編②)】

東京営業所 澤田です。

旧年中はご愛顧を賜り厚く御礼申し上げます。

本年も何卒宜しくお願い致します。

相場は年末年始に掛けて上昇しておりますが、市場は今年も厳しい年になると予想されます。

2013年も油断することなく、市場の変化に対応しながら、皆様のお役に立つよう努力する所存

でございますので、倍旧のご愛顧お引立てを賜りますよう宜しくお願い致します。

 

冒頭の挨拶が硬くなってしまいましたが、ここからゆる~くしていきます[E:happy01]

今回は、品川・旧東海道第2弾となります!

念のため、自家製マップを今回も掲載しておきますね~

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はて、前回はどこまでご紹介したか・・・(丸栄ホームページ確認中)

お~~~、そうだ退ちゃん枠が思いのほか長くなってしまったんだ。

ということは、③の明治記念館から。

ここは、当初探索する予定ではなった、と言うよりは出発時は知らなかったのですが、

裏道の神社を探索中に偶然にも発見しました。

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外観からして、古そうな建物と思いきや、看板を発見!!!6002

歴史探索マップに載ってなくても、あるもんなんですね~

ほんと、裏の路地にあるので、普段じゃ気付かないかも・・・

それにしても、中の入り口を探すも、なかなか見つからない。

どう考えても、この日本ペイント株式会社の敷地内にあるようで、今回は断念[E:weep]

後に調べたところ、事前に連絡したり、当日でも受付すれば入れたそうな・・・

こんな時に、気の小さい人間は損をする時がある。。。

でも、北の国からの吾郎ちゃんの遺言でもある「謙虚に慎ましく生きろ」

が私の座右の銘である以上、こりゃあ致し方ないな~(それとこれとは関係ない??)

ま、いっか。

 

ちなみにこの壁は、明治記念館の道沿いにありましたが、これも何だか古そうですね~6003

それでは、④の旧東海道へ移動しまーす。

品川の旧東海道は現在は商店街となっており、京浜急行の駅でいうと

北品川駅~大森海岸駅までの区間となります。

今回私は、自家製マップの新馬場~大森海岸を探索しました。6004

ここ品川の旧東海道は、品川宿と呼ばれ、江戸から出た諸街道のうち最も重要視された

東海道の1番目の宿(1601年指定)だったそうです。

宿内の家々は1.600軒、住人7.000人という活気ある地で、

北の吉原に対し品川は南といわれ遊興の場所としても有名だったそうな。

今でも、江戸時代と同じ道幅で残っています。

寺社はかなりの件数が残されているのですが、

商店街自体はあまり昔の面影を残した建物等はほとんどありませんでした。。。

たしか、前にテレビかラジオで旧東海道について、江戸時代から明治時代に移行された際、

明治政府が文明開化に伴い、江戸時代を思い起こさせる建物等は全て取り壊したと聞いた

記憶がございます。きっとその影響が大きいのでしょうね~

 

それでも、何とか見つけた物件(江戸時代ではないのですが・・・)

↓↓↓

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後に調べた結果、明治45年建築

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こちらは、わざと昔を思い起こさせる看板なのかと思いきや、安永8年創業とのこと。

安永8年?? 

年号を調べてみると、1779年・・・  お~~、立派な江戸時代ではないですか!

事前調査しての探索も楽しいですが、現場で見つけて、後で調べるのも面白いものですね!

以上、品川・旧東海道編②でございました~~~

 

 

おまけ

最近のチッチで~す!

クリスマスの日に、チッチがどうしてもサンタの洋服が着たいとワガママを言うもので、

希望通りに着せてあげました[E:happy01]

なかなか、チッチのブログがUPできないもので、取り急ぎ近況報告でございました。6007

【歴知隊~vol.17~(品川・旧東海道編①)】

いや~ 早いもので、この【歴知隊(れきしりたい)】も発足から2年が経とうとしています。

龍馬伝に刺激され、半ば勢いで始めた感は否めないですが、知識はないにせよ、

やはり自分は歴史が好きなんだな~と実感している今日この頃でありんす。

どのくらいの方に読んでいただいているかは不明ですが、自己満で今後もUPし続けます^^

 

今回は、京急線に沿った品川区の旧東海道の旅に行ってまいりました~

時間にして自転車で約4時間の旅でした。

なんと、前回に引続きワイフも一緒に探索♪ 

そろそろ、本当に入隊を考えてあげないとな~ 

(ただ単に、僕の行動が怪しく、疑われているっていう説もありますが・・・)

 

ま、いっか。そんでは、いざ、しゅっぱ~つ!!!

っと、その前に今回探索した、簡単な自家製マップを掲載しておきますね。

↓↓↓

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事務所のある平和島駅から、品川方面へ行く間に、車窓から見える「品川神社」

ずっ~と気になっていました。昔ちょこっとテレビで由緒ある~~~って言ってた気が・・・

とりあえずは、その品川神社よりスタートします!

 

ここ品川神社は、後鳥羽天皇の御世、

1187年に源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神として、

品川大明神と称しました。

なんと、徳川家康も関が原出陣の前にここで祈願したそうです。

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階段の途中に富士塚の入り口が・・・

皆さん、富士塚ってご存知ですか~?

富士塚とは、富士信仰において富士山を遥拝するための、

いわば富士山のミニチュア版なんですよ。

実際に富士山に行けない人たちが、富士塚に登ることで、

富士山に登山したのと同じ効果をもたらすって感じですかね~

江戸時代に流行ったらしく、今でも数箇所に残っています。

ここも有名だそうですが、以前タモさんが千駄ヶ谷?にある富士塚に登っていました^^

一つ一つの距離は非常に短いですけど、ちゃんと10合目まであるんですね~

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この頂上から見える景色が、最初の画像にもある「新東京百景」と言われる所以なんでしょうね。

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そして、この品川神社には、なんと、あの【板垣退助のお墓】があるのでした!!!

僕も出発前に地図を見て気付いたくらいで、実際に品川神社を検索しても

大々的には記載されていません。(ん~、これぞ歴知隊の醍醐味)

実際に、現場に行っても看板もないので、ほとんどの人が気付かないと思います。

下の写真の脇道を通って、裏に行かないとわからないので、そりゃ気付きませんよね。

僕が見ていた限りでは、参拝に来られている方でこの脇道を通っていく人はいませんでした。

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裏にある看板を見て、納得。

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この看板の内容を見ると、元々この場所は別の寺院があった所で、

生前に自分の死後は、ここに墓を建てるようにと希望し、

その意向通りにこの場所に埋葬されたそうです。

関東大震災後、寺院は世田谷に移りましたが、お墓だけは、彼の意思を尊重し、

そのまま残ったそうな。ですから、この場所は、品川神社の境内地ではなく、

便宜上一部を開けてお参りが出来るようにしているとのこと。

ん~、だから大々的には謳ってないのですね~。

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退ちゃんは(急に馴れ馴れしい)、龍馬と同じ土佐藩で、山内容堂の御側用役として、

明治には党総理として活躍した人物です。

あの勤王党の武市半平太らを処刑したって言われてるけど、龍馬伝に退ちゃん出てたかな~? 

(全く記憶なし・・・)

そこまでの人物が、ほとんど人の目に付かない場所に眠っているなんて、なんだか寂しい[E:weep]

まぁ、でも激動の時代に生きていただけに、ひっそりとした場所に眠ってるっていうのもありかも。

退ちゃんの心境は如何に・・・ 本人のみぞ知るってとこですかね。

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遊説中に暴漢に襲われ発した「板垣死すとも、自由は死せず」は有名ですね。

でも本当は「吾死スルトモ自由ハ死セン」と言ったそうですが、後に表現が変わったそうです。

いや~、僕も何か金言残して死にたいな~ ん~例えば・・・

長嶋茂雄の引退セレモニーでの有名な一言

「私は今日ここに引退いたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です。」

と退ちゃんの一言をもじって、こんなんはどうだろか?

「わしの身体は死すとも我が魂は永久に不滅だぜよ」みたいな・・・

ん? あか~ん、即席で考えたけど、これじゃただの浮遊霊になってまう。

しかも家族には「大丈夫だから、安心して成仏して」って言われるだろうし・・・

もう少し真剣に考えようっと。

 

話はそれましたが、以上、品川神社探索でした!

予定では、今回の【品川・旧東海道編①】は地図でいう④までいきたかったのですが、

思いのほか退ちゃん枠が多くなってしまったため、今回はここまでとさせていただきます^^

 

 

最後に、来週五反田TOC内で合同展示会を行います!!!

弊社も出展しますので、是非ご来場いただきますようお願い申し上げます。

ささやかではございますが、ノベルティもご用意していますので、気軽に足を運んでください~~~

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【歴知隊~vol.16~(江戸城編)】

今回は連休ということもあり、またまたワイフ参加で探索となりました。

ホンマは、マイワイフは一度除隊したが、隊員に返り咲きたいのでは?

ん? いや、とにかく隊長のそばにいつも一緒に居たいのでは??

(何にしても、このブログを観てないから言える一言~^^)

万一、観た時のことを考え、「いつも感謝してるよ~[E:heart]」ってことで、締めておきます^^

 

vol.16にして、もう江戸城に来ちゃった感はありますが、ここは天竺でも、

私は三蔵法師でもないので、決して最終回ではございませんよ~~~

 

さて、まずは「腹が減っては探索が出来ぬ」との格言に基づき、

東京駅近郊にてランチタイ~ム

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大人のデートって感じでしょ??

ビールと、串かつ定職をペロリ♪

 

 

それでは、東京駅からスタ~ト~~

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いあ~ 何回観てもこのモダンな外観には、惹かれますな~

この東京駅は丸の内口を背に、いざ江戸城へ参りまする!

 

 

まずは、正門である、「大手門」を入る前に、「和田倉門跡」がございます。

和田倉の名前は、「わた」から出たと言われています。「わた」とは海のことで、

「わたつみ」「わたの原」などありますが「わたつみ」とは海神のことだそうです。

2羽の鳩がいい感じで見張り役をしていたので拡大します。わかり難いか・・・

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そして、ここが正門(表)となる「大手門」!!!

あの「伊達政宗」が工事を担当したそうですよ~

大火や地震などで、何度も修復しているらしいので、

どこまでが当時から残っている物かは不明??

右下は門から東京駅に向かって撮った写真です。

ここから、先に進むとタイムスリップした感じです^^

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いざ、江戸城内へ

と、その前に、場内マップです。

アルファベットで記載している箇所をUPしていますので、

よろしければ、照らし合わせながら、楽しんでくださいまし^^

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「番所」いわゆる、警備や見張るの為に設置された施設で、全部で3箇所ありました。

奥に行けば行くほど、位の高い役人さんが配備していたそうな。

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そんでもって、「中之門」。

昔の写真で比較すると、矢印の箇所が同じところみたいなんですが・・・? ホンマかいな。

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この「汐見坂」は本丸と二の丸をつなぐ坂道。今の新橋から皇居前広場の近くまで、

日比谷入江が入り込み、この坂から江戸湾が一望できたことから、名付けられたそうです。

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江戸の町の6割が焼けた1657年の振袖火事で、江戸城も西の丸を残して焼けたそうな。。。

五層五階の威容を誇ったこの天守閣も焼け落ちましたが、

再建は4代将軍・家綱の補佐役・保科正之が

「江戸の市中の復興に力を注ぐべきだ」と主張し、中止されました。

「偉いぞ、正之~~~」  って誰だ正之って??

そんな正之を知りたい方は、こちらまで

↓↓↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E7%A7%91%E6%AD%A3%E4%B9%8B

 

天守台にある本丸の地図看板発見!

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ん~なになに? この地図を見た限りでは、大奥が近くに・・・

ってことは・・・

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そこで、ふと思い起こす・・・

家でも会社でも、私の周りは女性だらけ。当然お互い様だろうが、良い事もあれば・・・

(これ以上は口が裂けても言えない)

てなことで、大奥があったと思われる場所で、無言の抵抗~~~

あぁ、これでまた怒られる。。。

この後、怨念なのか、手足に湿疹が。こわ~い、やっぱり大人しくしてよっと。

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手足の湿疹を気にしながらも先に進みます[E:bearing]

ここは「富士見櫓」といって、唯一焼け残った櫓で、天守閣が焼失した後、

天守閣の役割を果たしていたそうです。

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もう、まったく痕跡もありませんが、「松の大廊下跡」でございます。

"皆様も聞いておわかりでしょが、

浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかるという刃傷事件が起きた跡地。"

「謀反じゃ~」ってここでわめいていたのでしょうかね~

詳細は、歴知隊vol.7をご覧ください^^→http://freewill.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/10/vol7_ae8a.html

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以上が、江戸城探索ですが、どうしてももう一箇所行きたかった場所が。。。

 

 

北の丸公園内にある「旧近衛師団司令部庁舎」です。

近衛師団は、大日本帝国陸軍の師団のひとつで、個人的には、「二・二六事件」、

いわゆるクーデター未遂を起こした師団として、記憶に残っています。

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明治43年(1910)に完成し、陸軍技師田村鎮の設計による赤レンガ造り、二階建て、スレート葺、

簡素なゴシック風で、明治洋風建築としては代表的な存在となっています。 

関東大震災や弟二次大戦をくぐりぬけ、ほぼ完全な姿をとどめています。

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この右下の場所で、会議してたのでしょうかね~

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実はこの記念碑のすぐ近くにベンチがあり、高校生?くらいの妙なカップルがいました。

女の子が背を向けて、男の子がひたすら女の子の後ろ髪を櫛で梳いている。

しかも全く会話なし。。。

その櫛も昔ながらの木の櫛で、ワイフも「何? あれ」と言うくらい。

思わず立ち止まって直視しちゃうほどのみょ~な光景でした。

写真を撮ろうとしましたが、さすがにワイフに止められましたが[E:coldsweats01]

 

以上、歴知隊・江戸城編でした。(なんか嫌な終わり方・・・)

長々と失礼いたしましたm(__)m

【歴知隊~vol.15~(三原通り商店街)】

こんにちは!

東京営業所の澤田です。

 

夏季休暇中に、新たな土地へ探索しようかと考えていたのですが、

我が娘(孫娘?)のチッチが、「行かないで~」って言うもんだから、

遠出は出来ず、以前新聞記事に掲載された(vol.10でも紹介)

会社近くの【三原通り商店街】の進捗状況をご報告させていただきます!

因みに、このチッチネタは周囲からキモイと言われている為、

今後も継続していく所存でございまする[E:pout]

 

こちらが以前掲載した記事(2012年2月 日経MJ)

↓↓↓

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この三原通りの説明が記してある看板

↓↓↓

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たしかに、看板・ひさし・格子等が付け加えられています。

がしかし・・・ 新聞に記載されている、「商店街の再現をてこに街の賑わいを取り戻す」に

ついては、今のところ、投資失敗のような気が・・・

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その中のひとつである、海苔屋さんの看板にちゅ~も~く!

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【寛文九年創業】 ん? 寛文九年っていつだ??

調べたところ、西暦でいうと、1669年(343年前)てことは、江戸時代の初期で、

四代将軍・徳川家綱の時代でありませんか。

ほんとなん?? 

と思いつつ、そうえいば近くの大きな公園の中に資料館があったことを思い出す。

しかも、歴知隊探索で一度訪れましたが、あまりのインパクトのなさにボツに。

いや~、ちゃんと写真残しておいて良かった~~

 

 

こちらが資料館の写真です。

↓↓↓

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江戸時代の中頃から始まった? 海苔屋さんの創業は江戸時代初期・・・なんか矛盾しますが、

ちっちゃいことは気にすんな、それワカチコワカチコ~♪

(すみません。。。 ゆってぃ、元気かな~)

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てなことで、先に進みます(笑)

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この資料館は、大変人気で、休日にもかかわらず、来場者は写真に写っている、

お子さん二人と私の計3人だけ・・・ あ~、あと別フロアにお爺ちゃんがいたかな~?

それはともかく、大森の海苔には歴史と伝統があるんですね~

 

 

おまけ~

先日、私の所属している野球チームが、大田区・品川区共に4回戦で敗れ、

春季大会は幕を閉じました。。。(春季大会と言っても、実際は雨の影響もあり真夏日でした)

私としては、このチームの中心メンバーだと自負しているのですが、この日は(この日も)

打てない・守れない・走れないの三拍子揃った大活躍で敗戦。

試合後の雑談で、私がA級戦犯扱いに・・・

夏用の新ユニホームだったということもあり、気を遣ってくれた親切な友人が

「記念に、撮ってあげるよ」

いいやつだな~と思いながら、その気になって撮ってもらった写真が

↓↓↓

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途中に一言・・・

「多分、今日がお前の引退試合になるだろうから」

モザイクが掛かっていてわかり難いですが、この時、私はこのポーズをとりながら、「え?」

と言ってます[E:crying]

私の野球人生に幕を閉じるといった意味では、

個人的ではございますが歴史的な1枚になるのかも・・・

【歴知隊~vol.14~(大田区今昔物語後編)】

東京営業所の澤田です!

前編で盛り上がりすぎて、ちょっとテンションが低くなってしまいましたが、後編お届けします[E:coldsweats01]

 

前編は、僕の母校である「馬込小学校」までだったので、続きは・・・

 

実家がある、武蔵新田で~す!

(高校の時に、こちらに引っ越してきました)

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う~ん、ここは面影がありますね~~~

写っている人を見た感じは、夏なんですかね??

 

 

続いて、「蒲田陸橋」

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昔の写真のような高い場所から撮影しようと探したのですが、周りはマンションばかりで

しかも、ほとんどがオートロックのため、諦めました。。。

あまり無理すると、お縄ちょーだいされちゃうので。

 

 

<蒲田駅東口>

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ここも蒲田陸橋同様に高い場所からの撮影不可[E:weep]

たしか、数年前は歩道橋があったような??

このへんになると、既に探索から3時間を過ぎていたため、

体力的にも限界で、撮影自体が雑になってきてます。。。

 

 

<蒲田自動車学校>

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僕もここで、自動車免許を取得しました!

ん~ もうかれこれ20年以上は経ちますね~(それもある意味立派な歴史?)

こんな昔からあったとは思いませんでした。

 

 

<萩中公園>

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ちょっと前までは、昔の写真の滑り台もあったのですが、今は園内改装でなくなってしまいました。

それにしても、この滑り台に群がる子供たちの多さ。(少子化を実感します。。。)

 

なんか、簡単に終わってしまいましたが、大田区今昔は以上で終了です!

 

 

続きましては、我が家に新たな家族が増えましたので、ここでご紹介させていただきます!

知人より譲り受けました。

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名前は【チッチ】です♪(もう写真見ればわかるか)

娘たちもある程度育ち(ホントある程度・・・)、早く孫が欲しいと思っていただけに、

待望の赤ちゃんが出来てうれし~~~

今度こそは、僕の言うことを聞いてくれる娘に育て上げたい!と切に思う[E:crying]

ただ、既にご主人様はワイフになっている気が・・・ まぁいいか、これが俺の人生なのだ。。。

ん~ これからは、【歴知隊】と共に、誰かさんが毎回アップしている【育児日記】にも参戦だ~

ちょうど、次回私の順番の時は、初のお散歩が公開できるかも[E:happy01]

ということで、私の新たな生きがいが誕生したのでした!

【歴知隊~vol.12~(大田区今昔物語予告編)】

「今、蒲田が熱い~~~」

 

堀北真希ちゃん主演のNHK連続ドラマ小説【梅ちゃん先生】

4月2日から放送されていますが

その舞台となっているのが、なんと我が地元の大田区(蒲田)なんですね~

ちなみに大田区は、元々大森区と蒲田区が合併して大田区となったんですよ~

 

先日、ワイフと蒲田へ買い物に行った際に、あちらこちらでイベントをやっていました。

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駅ビルでも・・・

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そこで目にしたチラシがこれだ・・・ 1・2・3

↓↓↓

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ひょえ~! 蒲田工学院内で「いまと昔展」が開催されているではないか~~~

ワイフに「おれ、今からここ行くけど、どうする? どうする~?   」

って聞いたところ、渋々付いてくることに[E:happy01]

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ここには、当時の(大田区の戦後が中心)の写真や日用品などが展示しており、もう大興奮!

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興奮のあまりに、わたくし担いじゃいました~♪(どこへ向かうつもりなんだろ??)

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いや~ それにしても充実した休日でしたな~

知らなかっただけに、嬉しさ倍増です。

その他に、梅ちゃん先生の番組展もあります!

会期が5月6日までなので、興味のある方はお早めに!!!

 

実はワイフも大田区出身のせいか、思いのほか楽しかったようです。

只今、介護の仕事に就いてますが、今度おじいちゃん&おばあちゃんを連れて行くそうです^^

 

タイトルのとおり、次回は昔の写真と同じ場所に行って、現在の写真を撮ってきます!

場所は、僕の独断と偏見というわけにはいかないので、隊員たちと多数決で、

公平に決めようと考えています。 (僕ももう、いい大人なもんで)

このくだり、もうご存知の方もいるかと思いますので、このへんでやめておきます[E:weep]

 

それでは、次回お楽しみに!!!

楽しいのは俺だけか??

 

 

【arrival】

もうすぐ、下記オリジナルアイテムが入荷してまいります!!!

出荷はゴールデンウィーク明けとなりますが、是非導入ご検討くださいませ。

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【歴知隊~vol.11~(芝大門偏)】

皆様、こんにちは~

最近、私の許可も取らず、歴知隊(真似事)というタイトルで

ブログ掲載している者がいますが、入隊したいって素直に言えばいいのにね~

 

んでもって、今回は(今回も?)ブラタモリを観て、芝大門の探索を決定!

その時に放映された、CG等を駆使し、芝大門をご紹介します。

 

まずは、浜松町駅へ!

ここ浜松町駅は、明治42年に東海道線開通と同時に開設されました。

下の写真は道路わきに貼られていました。

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開業当時は、松林に面し、その向こうはすぐ海でした。

東京湾が遠浅の海だったので、引き潮の時を狙って線路を作ったそうです。

つまり、線路の先が海だったのでございます。

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そして、下の写真です。

これは共に、ブラタモリ提供の画像です。

(テレビをデジカメで撮りました^^  ん~間違いなく提供ではないな・・・)

CGで当事を再現!!

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そして、お次へ向かうは増上寺でございまする。

ここ増上寺には、徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が

葬られています。

詳しくは↓↓↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E4%B8%8A%E5%AF%BA

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増上寺の入り口となる「大門」!

後ろに見えるは東京タワーでございます。

この先、300mほど進むと、あの有名な「三解脱門」へ。

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この「三解脱門」は震災や戦災を乗り越え、江戸時代の姿をそのままに伝えています。

また増上寺は、お寺の運営に適した地形で、山を背景に絵になる目立つ伽藍配置を

作ることができました。

なので、ここは江戸時代の観光の名所だったのでございます。

(この三解脱門は山の中腹に位置しておりました)

そんでもって、この三解脱門は・・・

前が海、後ろが山という絶景の展望台だったんですね~

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いざ中へ!!

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そして2代目将軍・徳川秀忠の霊廟を拝見!

と、いきたいところですが、もう既に残っていないため、

私自身が撮った写真&ブラタモリ映像のダブルでご案内します^^

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以上、芝大門でした~~~

本当はもっとお伝えしたい歴史がたくさんあるのですが、

止まらなくなってしまうので、かなり集約しております[E:weep]

また、続編UPしようかな~

 

 

おまけ~

いよいよ草野球の春季大会が始まります!(大田区)

開会式の写真です。 小学生・中学生・社会人の部がありま~す。

開会式は毎回「大田スタジアム」で行われますが、

僕らの実力では、ここで試合は出来ません。。。

いつかは、ここで試合をしてみたいものですが、もう年齢的にも厳しく、

雰囲気だけ味わって帰るのでありました[E:bleah]

地道に多摩川の土手で頑張ります・・・

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歴知隊(マスターに引き続き真似事 その2)

こんにちは。

東京営業所のKです。

今回は、先日みんなで行った『横浜』の事を書こうと思ったのですが、

東京営業所のS所長に先を越されたので、別のお話を・・・。

(ってマスターに続くこのフリしつこいですよね。。。 [E:bleah] )

先日、池袋に行ってきました。用事のメインは洋服のセールだったのですが、

せっかく池袋に行ったので、池袋観光をしようという話になり、

池袋の観光名所 重要文化財の「自由学園 明日館」に立ち寄ってきました!

明日館がどんなところかもよく理解していなかった私ですが、

とりあえず到着。[E:wink]

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喫茶付き ¥600 の見学コースで中に入りました☆

中に入ると素敵な雰囲気!!

明日館はとても歴史の有る建物みたいです!

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大正10年に設立された女学校で、その校舎は有名な

建築家フランク・ロイド・ライトとその弟子の遠藤新の設計による建物との事。

窓枠や桟を組み合わせてステンドグラス風に仕上げた窓が有名なんですって!

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なんて素敵な窓!

お家の窓がこんなんだったら可愛いなぁと思いながら見学しました~。

教室も洒落ています!

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こんな教室だったら、もっと勉強頑張ったに違いない!!

(なんて事を勝手に思い、自分で納得。。。[E:happy02] )

ところで、建築家フランク・ロイド・ライトさんってご存知ですか??

アメリカのとても有名な建築家です。

照明もとても有名↓

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そう!この照明の方です!!

インテリアショップでよく見るお洒落な照明です!!

明日館の中の照明もフランク・ロイド・ライトさんのモノが使って有り

とても素敵でした~。

こちら☆↓

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建物を堪能したので、中で珈琲を頂くことに。。。

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このお洒落な空間で珈琲を頂きました!

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椅子までこの可愛さです~。

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池袋というと「若い」「買い物」「賑やか」などと勝手なイメージを

持っていた私ですが、落ち着いた大人の休日を楽しむ事が出来ました!

最近、疲れ気味なのでリラックスは大事です~。

ちなみに、自由学園 明日館は 「じゆうがくえん あしたかん」ではなく、

「じゆうがくえん みょうにちかん」と読むそうです^^

出てから気付きました。。。

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ポルカドットディスペンサーが3/8(木)より

発売開始致します!

発売前からお問い合わせを多数頂いている商品ですので、

是非、お早めにご予約下さいね!!

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追伸2

運動不足を解消しようと最近、たまにジョギングしています!

格好だけは一人前です☆

続くかな。。。 [E:happy01]

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