【歴知隊~vol.34~(日本橋~小伝馬町前編)】

皆様、こんにちは!

 

立て続けにやってくる大型台風

甘く見ていると痛い目にあいますので、くれぐれも用心してください!

うちは家族全員の自転車を固定し、外壁のヒビをパテで塞ぎました。

 

 

さて、今回は江戸時代の中心都市であった「日本橋」を探索しました~

(現在でも中心ではございますが・・・)

 

 

今回の探索マップです

↓↓↓

 

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探索の前に、まずは腹ごしらえっと

ちょうど地下鉄から地上に出てすぐに、あのオムライスで有名な

「たいめいけん」が

ちょっと奮発して、ここで食事することに。

 

 

 

 

しかし、この3代目がちょっと怪しいんだよなー

 

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TVでちょくちょく見かけますが、日焼けサロンに通ったり、オムライス以外の

調理もあまり見たことないし・・・

まぁでも、店内を見渡す限り、不在のようでしたので、安心して? 着席

(きっと、今頃ヒサロに行ってんだろうな~)

 

 

 

 

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たしか、このときの時間は14:00~15:00くらいだったような・・・

ランチタイムを外しても、人の列。

味は・・・

 

美味しかった~~~

ワイフ同行の探索だったので、ワイフはオムライスを、そして私は男の定番

の生姜焼きを食しました~~

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、探索スタ~ト!

 

まずは、「漱石名作の舞台」碑

 

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なんでも、夏目漱石さんの作品には日本橋の地が数多く登場していることから、

早稲田大学が建立したそうな。

 

 

 

 

 

そしてお次が、漱石さんの碑のご近所にある「名水白木屋の井戸」

 

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江戸時代のはじめ、下町一帯の井戸は塩分を含み飲料に適する良水が得られず

付近の住民は苦しんでいました。

正徳元年(1711)、白木屋2代目当主の大村彦太郎安全は私財を投じて井戸掘りに

着手。翌2年、たまたま井戸の中から一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水

が湧き出したと伝えられています。以来、付近の住民のみならず諸大名の用水ともな

って広く「白木名水」とうたわれてきました。

 

 

 

 

 

「海運橋親柱(かいうんばしおやばしら)」

詳細はは画像をクリック

 

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「日本橋郵便局」

 

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ここは郵便発祥の地です。
明治4年(1871)、近代郵便制度が発足し、郵政事業を統括する中央機関として

(現在の日本郵政公社)が設けられ、取扱機関として東京郵便役所が置かれました。

 

 

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郵便発祥から100周年にあたる1971年が私と同い年となります!

 

 

 

 

その郵便局のとなりには

 

「江戸橋」が

 

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創架は寛永8年(1631)、明治5年に石橋に、明治34年に鋼鉄橋に改架。

関東大震災後の復興事業として昭和3年(1928)に昭和通りの開通に伴って移設。

昭和38年(1963)高速道路建設で改架し、現在に至る。と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この江戸橋は渡らずに、日本橋方面へと向かいます。

 

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これは、「旧 村井銀行裏口跡」

村井銀行は京都の村井吉兵衛が設立し、明治期にタバコの民営化で

「東洋のタバコ王」と称され、日本初の両切りタバコ「サンライズ」を製造販売して

巨富を築きました。東京銀座の「天狗タバコ」と宣伝を競っていたそうです。

サンライズに天狗タバコ???  知らんなー

ちょっと調べてみようっと。

 

 

 

 

 

タバコ

 

 

たしかに、左のサンライズのパッケージには村井と記されている。

この時代は、今の専売公社はまだ存在していなかったので民間の会社がタバコを

製造販売していて、競い合ってたのでしょうね~

タバコについても調べたいのですが、ブログが終わらんくなってしまうので、先に

進みます・・・

 

 

 

 

 

 

 

日本橋界隈には老舗がたくさん有ります。

 

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ここでは代表して、「黒江屋」さんと「榮太摟」さんをご紹介

「黒江屋」さんは、漆器の名産地、紀伊国名草群黒江村(現在の海南市)から江戸

へ出てきた人物(姓名不詳)が、本町四丁目に漆器店をおこしたことに始まるといわ

れております。今から二百年ほど前、呉服小間物屋を中心に手広く商いをしていた

柏屋(現在の柏原家)に経営権が移り、今日に及んでいます。

 

 

そして「榮太摟」さん。

和菓子製造販売店

CMでも有名ですよね。「はーい、えいたろうです」って (今は??)

榮太摟さんは商に対する誠実一途の姿勢が顧客の信頼を得るところとなり、幾多の

有為転変にもかかわらず、明治・大正・昭和・平成と、時代とともに業績は躍進し、堅

実な基礎を固めるに至っておるそうな。

こりゃあ、わが社も見習わなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、お次は「竹久夢二・港屋ゆかりの地」

 

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画家であり、詩人でもあった竹久夢二(1884~1934)は、大正3年この地に

「港屋絵草紙店」を開き、夢二のデザインによる版画、封筒、カード、絵葉書、手拭、

半襟などを売っていたそうです。

当時の港屋は東京名物の一つで人気を集め、その品々を身に着けるのはこの上

ない趣味とされ、若い女性の憧れの的となりましたが、店が忙しすぎて商品補充が

続かず2年で閉じたとのことです。。。

 

 

 

 

 

 

 

「裏河岸(うらがし)・西河岸橋(にしがしばし)」

 

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このあたりは、江戸時代より我が国の商業・経済の中心地として栄えてきました。

この橋は、日本橋から一石橋までの日本橋川右岸地域が、西河岸町という地名で

あったことから「西河岸橋」と名付けらたそうです。(只今工事中)

 

 

 

 

 

 

 

「常盤橋」

 

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元は「大橋」と称され、江戸城の大手門から浅草に直接向かう本町通り(現在の江戸

通りの原型とされる)上に置かれていました、また、浅草に通じていることから「浅草口橋」

とも呼ばれていました。

 

 

 

 

 

 

 

そして、今回メインの「日本橋」

 

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古来街道の起点として広く親しまれ現在も交通の要衝として知られています。

慶長8年(1603)に日本橋が架設されて以来、火災などによって改築すること19回を

経て、明治44年(1911)3月石橋の名橋として現在の橋に生まれ変わりました。

また日本橋から銀座にかけての中央通り一帯は近代的な街並みで日本経済の中

心地として、今なお活況を呈しておりまする。

 

 

 

 

 

 

「日本橋由来記の碑」

南詰西側にあり、江戸期にはこの場所に高札場が設置されていました。

 

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「日本国道路原票」

たしかに、車で走っていると、「日本橋から(まで)〇〇km」という標識をよくみかけます。

 

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「日本橋魚河岸跡」

 

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日本橋北詰付近は近海から運ばれた鮮魚を扱う魚商が江戸の台所を賄った場所です。

関東大震災後、築地に移転しました。

 

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昔の写真を見る感じでは、この辺かな??

 

 

 

以上、日本橋~小伝馬町前編でした~

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ~①

 

過去に長女の免許取得をUPしましたが、あれから半年以上が経ち、至るところに

凹みやキズを付けられました

現在時間をかけ、いろんな箇所を補修しております。

その一部をご紹介~

今回ご紹介するのは、ホイルキャップの塗装。

このホイルキャップもありとあらゆる箇所にキズと亀裂が・・・

不器用であるにもかかわらず、このままじゃイカンと見よう見まねでチャレンジ!

 

私はおじいちゃんなので、とにかく朝早く目を覚まします。

正確に言うと勝手に目が覚めてしまいます(悲)

 

ってことで、この日は、6:00から作業開始!

洗浄→亀裂補修→ヤスリ掛け→塗装前の下準備(細かく説明するといろいろ

ありすぎるので割愛します)

ここまで要した時間は、なんと6時間

 

当然ご近所様に迷惑が掛からないよう、万全の態勢で挑みます^^

 

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そして、ようやく塗装開始。

 

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4回に分けて塗装。(そうWEBに載ってました)

かなりの苦戦を強いられましたが、ん~素人にしては、まぁまぁかな。

結局作業終了が18:00・・・ 12時間と1日掛かりの作業でした~

しかも、この日娘は旅行中・・・ 父上の努力も知らずに、また傷つけるのでしょうか?

「旅行に行く金があるなら、修理代はらえ~~~~

 

現在、愛車は凹み修理のため、知人に預けておりまーす。

(さすがに素人では手の出せない領域なもので)

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ~②

 

チッチ近況報告♪

 

こちらも以前にUPした? ことのあるチッチのお気に入り「フクロウちゃん」

ここ最近、何の反応もなかったのに、思い出したかのように「フクロウちゃん」

に固執するチッチ。

 

 

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そして

攻撃開始

 

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この遊びを約20分。 私がたまらず、届かない場所へ

 

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毎回、悲しそうな表情をしながら、水を飲みにいくパターン。

 

そして、私のところには、決して戻ってきません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【歴知隊~vol.33~(官兵衛ツアー後編)】

皆様、こんにちは~

ギフトショーも無事に終わり、安堵とともに、緊張の糸が一気に切れ、

未だに疲れが残っている 中年おじさんです。

 

今回も前回同様に官兵衛ツアーをUPさせていただきます

(本当は3~4回くらいに分けて、お伝えしたいとこなのですが、

次が詰まっているため前後半 の2編に無理くり押込みまする・・・)

 

 

え~っと、前回は「御着城」で終わったので、今回は【三木城】からスタート!

 

っとその前に、私の探索スケジュールに乱れが生じ、遅い昼食なってしまった、

その様子から。

(前回の御着城で予想以上に時間が・・・ ボランティア小学生に詳しく

ご説明いただいた分、綿密な計画に狂いが・・・でも私的には問題なし^^)

 

 

 

 

 

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ここは、本社営業Mくんとフィアンセの行きつけのレストラン だとさ・・・

南フランスっぽい佇まい。 ん~懐かしい。

 

 

 

 

私以外の3人は、ご当地グルメの【かつメシ】を注文。

たしかにおいしそ

 

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そして、私は【ヒレカツ】を頼みました。たぶん・・・

 

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これも美味しかった~~~ プラス

運転手のMくん、ごめんね・ごめんね~~~(ふる)

 

 

さすが美味しい&お洒落なお店だけあって、昼食時間を過ぎても賑わってました。

皆様も加古川に行かれる機会があれば、是非寄ってください。

 

ロビンフッド

http://tabelog.com/hyogo/A2804/A280402/28014651/

 

 

 

 

 

 

 

 

さてと、本題の探索へと進みます。

ここ、三木城は、羽柴(豊臣)秀吉による播磨平定戦において最大の障害

となった別所長治の居城跡。三木城をめぐる合戦は、秀吉配下の名軍師・

官兵衛と竹中半兵衛が唯一顔を揃えた戦場です。

 

 

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籠城戦に持ち込み、城内の食糧が底をつき、餓死者は数千人に及んだといいます。

(この兵糧攻めは2年も続いたそうな・・・)

長治の切腹と引き換えに城兵を助命することで、三木城は開城しました。

長治享年23・・・ まだ若いのに

 

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三木合戦の絵図があり、これまたボランティア?のおじ様が蚊取り線香を片手に説明。

 

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このおじ様曰く、ここに現存しているのは、この「かんかん井戸」と

 

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天守の前にある、この岩だけだそうです。

 

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そして天守跡へ

 

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前回と同様、なぜか写り込む3人・・・

 

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天守跡には、別所長治公 辞世の句碑がありました。

「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかわる 我が身とおもへば」。

 

城主である自分が切腹して開城することで城内の残存兵や領民が救われ

ることを願っていた長治さん。

その後、別所一族が自刃し城内の領民らは救われたとされていますが、

最近の研究では、結局皆殺しになったという新説もあるそうです・・・

 

 

 

 

 

 

二の丸・三の丸内には、これまた歴史的建造物がありました。

 

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ただ、この展示室、鍵がかかったまま

 

 

 

 

女子高?

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三木城を後にし、次に向かった先は、三木合戦にて秀吉が本陣とした付城です。

 

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これまた、前回の妻鹿城(めがじょう)こと国府山城(こうやまじょう)同様に登山となりました。

登山と判明した時の周りの空気・・・

決して口にはしないものの、彼らが疲れと不満を漂わせていたのは気のせいでしょうか・・・

 

 

 

 

 

この太閤道、秀吉も通ったのでしょうね。(歩いてはいないと思いますが)

 

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その道を一緒に歩く、私と・・・

 

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うぉ~、言い忘れてました~~~

三木城から、参加した管理部(SE)のK山さんです。

前日に物流の方の歓迎会があり、その際に急遽参戦が決まりました~

(三木城近辺に娘さんとお孫さんがいるそうです)

 

 

 

 

 

歩くこと約20分? 最終地点へ到着。

あの先の簡易展望台から三木城跡を見下ろすことができます。

 

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三木城がどこだかわかりませんが、展望台から撮った

 

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この写真は、W君が得意の盗撮でK山さんを撮影しようとしたところ、なんとK山さんも

こちらを撮影。 お互いに撮りあう形に

 

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そして、最終目的の【竹中半兵衛のお墓】へ!

(秀吉本陣跡の近くにあり)

 

 

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車を停めた200ⅿ先にあったのですが、な・な・なんと誰もついてこない・・・

(もう疲れたんでしょうね~ 特別興味があるわけではないので当然か・・・)

帰りの飛行機の時間も迫っていることもあり、走ってお墓に向かいます

 

 

 

 

 

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そして、ここが竹中半兵衛のお墓。

竹中半兵衛は、官兵衛と共に秀吉に仕え、のちには「三国志演義」に登場する名軍師

・諸葛孔明に比されて「今孔明」と呼ばれるような人物でした。

(半兵衛が慕う人物でもありました)

この名軍師ふたりは、「二兵衛」と並び称されたそうな。

 

 

 

写真でも、わかるようにお供え物が絶やされることないくらいの人気。

もちろん、大河ドラマの影響もあるのでしょうが、いかに慕われる人物であったかが

うかがえます。

 

 

 

そう考えると、以前品川を探索した時に、訪れたお墓は・・・

 

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掃除されえている気配もなく・・・ 故郷より遠い地にある分骨だからかな??

 

 

 

 

 

 

ここで、K山さんとはお別れということで、とりあえず記念撮影

 

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K山さん、歴知隊へ入隊されますか??(僕の下になっちゃいますけど・・・)

今なら、特別飛び級で「二番隊隊長」にしてあげます

僕が白ひげでK山さんがエースみたいな。 とりあえず、それでいきますか!

 

 

 

以上、官兵衛ツアー後編でした~~~

 

 

 

 

 

おまけ~~~

 

先日チッチと一緒にお出かけした、「大森ふるさとの浜辺公園」の様子。

今くらいの時期になると、とてもすごしやすく快適です♪

 

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突然走り出し、気づいたら、読書中のおじ様の後ろでいきなり、ウ〇チ

そ~っと回収し、逃げるのでありました

 

 

 

 

【歴知隊~vol.32~(官兵衛ツアー前編)】

 

皆様、こんにちは!

 

猛暑・台風・氾濫・竜巻etc自然の猛威に怯える日々・・・

最近の地球はおかしいですね~

特にこの時期、熱中症には気をつけてくださいね。水分はまめに取りましょう!

 

 

 

先日(とは言うものの、かれこれ2ヶ月は経ちますが・・・)、明石本社での会議に出席した翌日の休みを利用して、官兵衛ツアーに行ってまいりました~~~

 

どうしても参加したいということで、本社のM主任と東京営業所のWさんが帯同することに。

さすがにどうしてもと言われれば、断れないな~

(な~んて半ば強制で連れまわした??)

 

帰りの飛行機の時間もあるので、行き先・所要時間・見学時間と綿密な計画を立て、いざ出発!(工程表の作成が、これまた楽しいのですよねー♪)

 

今でこそ官兵衛が放映されていることもあり、姫路城もすごい賑わいですが、どちらかというと、今回はマイナー?(実際に人は少なかった気がします)な場所を探索。

 

 

 

まずは、M主任の車で妻鹿城(めがじょう)こと国府山城(こうやまじょう)へ参りまする。

 

写真でも見ていた画像と同じ光景が・・・

こりゃ~ワクワクもんですな

 

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ん~、さすが至る所に旗が立てられてありました。

 

右の写真は後からもらった盗撮画像。気をつけないと、コイツらはいろんな所で勝手に人のことを撮影てるから、ホンマこわ~

あっ、ちなみに左の写真はポチ もといM主任です。

 

 

 

 

 

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ここ妻鹿城は官兵衛の父こと、黒田職隆(もとたか)が築いた立地の良い城です。

 

元々は姫路城の城主は黒田家だったのです。

三木城主・別所長治を滅ぼした秀吉は三木城を居城としましたが、これに対し官兵衛が三木城は戦略的に不備であることを進言し、自らの居城である姫路城を譲り渡し、父・職隆と共にこの城に移りました。

 

姫路城があんなに立派なお城になったのは、秀吉が居城してからのことなんですよー。

 

 

ではでは、城跡へと向かいます。

遠くから見たときの感じや事前調査で100mと知っていたので、高を括ってました・・・

曲輪跡の平らな場所が多々あったり、結構入り組んだ構造となっていて、一筋縄ではいかず・・・ 急な坂は少ないものの、ぐるぐる回る感じで、長~い道のりでした

 

まぁ、私は構わないですが、無理やり駆りだされた者たちが、1番最初の探索地で辛い思いをしていると考えると・・・

(あ、参加したいと自ら志願したんだっけか??)

 

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きっと、この道を官兵衛も歩いていたのでしょう。

 

 

道中、曲輪跡の他にも、かまど跡や土塁跡・経塚跡etcありました~

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ま、道中にこんな写真を撮ったりと、個人的には楽しかったです。(私が良ければそれでよしと)

たしか、私の記憶が正しければ、この岩には自らではなく、「その岩に乗って」みたいな感じで、半ば強制的に操られていたような・・・

そしてこの撮影者はM主任。センスがあるかは別として、M主任はこの斜め撮りが好きみたいです。恐らく、彼のことだから、センスがあると思っているのでしょう(笑)

(葉っぱで隠れてるし・・・)

 

 

 

 

 

そんなこんなでやっと頂上へ

 

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立地が良いというだけあって、すごーく見晴らしが良かったです!

 

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ん? 何となく自分が、3年前にお亡くなりになった、どこぞのお国の将軍様に見えるのは、

気のせいか??  うん、気のせいだな。。。

 

 

最後に入り口にあった、これも有名な「目薬の木」

官兵衛の祖父が目薬を売ったことで、黒田家は財を成したと言われております。

 

 

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ちょうど今週の放映で、柴田恭平さんが演じる、官兵衛の父・職隆が亡くなりました。

(職隆はこの城で没しました。)

みんなからとても親しまれていたそうです(泣)

 

 

 

 

 

 

妻鹿城を後にして、近くにある職隆の廟所へ行こうとしたのですが迷った挙句見つからず・・・

ただ、探している間に違う名所? を見つけました。

 

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それが、太兵衛の誕生の地!

大河ドラマでは、速水もこみちさんが、この役を演じています。

 

 

 

 

 

 

さて、次はと・・・

 

播磨国分寺です!

 

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ん~、ただ普通に門の写真を撮ろうかと思ったら、何故だかポーズを取ってる3人・・・

 

 

 

 

 

あっ、そうでした

今回のツアーにもう1名参加していたのです。

ご紹介が遅くなり申し訳ございませんでした。。。

私のワイフでございます!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんつって、M主任のフィアンセ・Yちゃんで~す

おそらく、この掲載時もまだ付き合っているかとは思うのですが

 

Yちゃんは、官兵衛の息子・長政役を演じる、松坂桃李君の大ファンだそうです。

松坂桃李とM主任???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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う・う・うん、似てるな。似てる似てる。 似てるはず

髪型なんか特にそっくりだし。 どっちがどっちだかわからんし

ま、とにかくお幸せに~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

さ、気を取り直して、続き続きと・・・

 

ここ【播磨国分寺】は741年に聖武天皇が詔(みことのり)を出されて、この地に国分寺が創建されたそうです。

 

 

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写真でもわかるように平安時代っぽい感じが、プンプンしてきます。

 

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阿閇城の戦いの後、毛利の大軍が上月城を囲んだため、秀吉らは救援に赴いたが、その隙に乗じて別所勢が姫路城を陥れようとしたため、官兵衛は急きょ姫路に引き返し、国分寺に拠って撃退したと伝えられる。

 

と記載されておりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

お次は、前編最期の地【御着城】です!

 

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ここでは、なんと「御国野小学生ボランティアガイド」の子供たちより、御着城の説明をしていただきました!

あまり時間がなく、少しだけと思っていたのですが、次々と子供たちが出てきます。

こりゃ~、断れんな~~~

 

 

 

動画を撮っていたのですが、UPの仕方がわからない(出来ない?)ので子供たちの説明を文章で転載させていただきます。

カンペがあるわけでもなく、完璧に暗記している子供たち。 お見事!!!

 

まずは、御着城の説明から。

冒頭に自己紹介をするのですが、撮影に間に合いませんでした。ごめんね~

 

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今皆さんが立っておられる所は、本丸跡といって、南北214m、東西227mです。

御着城がここに建てられた理由は3つあります。

①どこを見渡しても山に囲まれていて、敵が攻めにくかった。

②天川が飲み水にもなり、外堀にも利用できた。

③自然災害が少なく、台風も起き難かった。

城主3代計60年間続いた御着城は1579年に落城。昭和52年~54年の発掘調査では、御着城が14世紀後半~16世紀後半まで続いたことがわかりました。

 

ちなみに、大河ドラマでは、この御着城の城主である、小寺政職(まさもと)を片岡の鶴ちゃんが演じています。

 

 

 

お次は、黒田家廟所の説明です。

お名前は「ササキ ユズ」ちゃん

 

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この上にある家紋は、藤巴と言います。この藤巴は官兵衛さんが有岡城に1年4ヶ月捕らえられた時に中から見えた藤の木が印象的で、生きる支えにとなったことから、この家紋になりました。

真ん中の何も書いていない家紋を見てください。この家紋を「いしもち」と言います。

この「いしもち」は官兵衛さんと仲の良い、竹中半兵衛さんがいくさに行く時に、食料として持っていた餅が固くなり、そこに敵の矢が刺さって命拾いしたことから、縁起がよいということで、この家紋を竹中半兵衛さんから譲り受けました。

 

左側に祭られている五輪塔が、官兵衛さんのお爺さんの黒田重隆(しげたか)さんです。

右側の五輪塔が官兵衛さんのお母さんのいわさんです。この五輪塔は1802年に九州の福岡筑前という所から運ばれてきました。

 

この石塀は竜山石といいます。この竜山石は高砂市の宝殿というところから運ばれてきました。昭和56年に姫路市指定遺跡ともなっています。

 

 

続いて、目薬の木のを説明していただいた、「アオタ サエ」ちゃん

 

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この説明は妻鹿城にて、説明していますので、割愛させていただきます。

サエちゃん、ごめんね~~~~

 

 

続いて、石橋の説明です。

この子も名前を聞きそびれました。  ゴメンチャイ。。。

 

 

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こちらの橋が石橋です。

姫路藩が文政11年・1828年に旧西国街道に架けた橋です。

昭和43年9月9日に、この橋は流されてしまいましたが、昭和53年10月に、この地に移設し保存しました。この橋は別名「虹の橋」と言います。

良い事があるかもしれないので、是非渡ってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

ん? 良い事がある?

ということで橋を渡る例のカップルを撮影

 

 

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お互いに本意ではございませんが、残り二人しかいないし、良い事があるかもという

ことなので・・・  写真を見る限りでは、Wくんは、まんざらでもなさそうだな

こわ~~~

 

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やっぱり、将軍様に見える・・・

 

 

 

 

最後に、「御国野小学生ボランティアガイド」の小学生の皆様、ご説明いただき、本当にありがとうございました~~~

他2~3名の方にもご説明いただいたのですが、全員載せられず、ごめんなさい!!

 

以上、官兵衛ツアー前編でした!

 

 

【歴知隊~vol.31~(日暮里~上野後編)】

ドイツ優勝おめでとうございます

今回のW杯はいろいろとありましたね~

 

まさかのブラジル崩壊

ブラジルを応援してたわけではないですけど、衝撃でしたねー

ブラジル国民も当然のことながら、セレソンも暫くは立ち直れないでしょうね~

まぁでも、ネイマールとチアゴが出てても、ドイツには勝てなかったと思います・・・

そして、メッシ・・・ 個人的にはMVPに疑問を感じています。。。なんせ走らない

チーム戦術なのでしょうけど、強豪国との対戦となった場合、一人が走らないと周り負担が

半端じゃない。 せめてディ・マリアが出ていれば・・・(たらればはアカンですね)

ロッペンを見習え~~~(しかし、アイツはや~)

 

今回は個の力が目立った大会でしたが、やはりドイツは走・攻・守と総合力において、どの

チームよりも群を抜いていましたので、優勝も妥当だと思います!

 

そして、今後の日本・・・

ある意味、あれだけの実力差を感じると、惜しい・悔しいというよりは、意外とあっさり諦め

がつきました

目指しているポゼッションサッカー・・・ アジアでは通用しても世界では全く通用しない(泣)

メキシコみたいなチームが理想と感じていた私にとっては、アギレさんは良い人選かと思われますが、

4年で立て直せるか、、、 とにかく期待しています!

(って、語ってるけどおれはいったい誰なんだ??)

 

 

 

さて、気を取り直して、今回は後編の上野編でございます!

え~と前回は、、、(只今、前回UP確認中・・・)

そう、谷中周辺まででしたね。

 

谷中周辺を探索後、上野公園へと向かいました。

その途中に、1625年に創建された【寛永寺】がります。

寛永寺は、東の比叡山という意味から、東叡山という山号が付けられたそうです。

(実際はここ、寛永寺も上野公園内なのですが)

 

 

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寛永寺の中にある、この鬼瓦は寛永寺旧本坊表門に据えられていたものです。

↓↓↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あっ、間違えました。

こちらが本物の鬼瓦です

 

 

 

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そして、こちらが旧寛永寺本坊表門。

寛永時から、園内に入る手前にあります。

 

 

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別名【黒門】とも呼ばれ、上野戦争での弾痕跡もあるようですが、わかりませんでした・・・

 

 

 

 

 

 

園内に入ると、国立科学博物館に入り口に機関車が。

デゴイチ(D51)ってやつですね~

実際に乗ったことはありませんが、小さい頃、よく絵を描いていた記憶が蘇ります

 

 

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園内の様子

 

 

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ん~、のどかで良い雰囲気でした

 

 

 

 

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さつきフェスティバル??

 

 

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芸術には縁のない私ですが、いつか出品してる自分の姿が浮かぶ・・・

確実に選ばれませんけどね

(実際は盆栽イジリをしている自分が)

 

 

 

 

 

続いて、園内にある【上野東照宮】、1627年に創建。祭神は徳川家康さんです。

 

 

 

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日光のミニバージョンって感じですかね^^

 

 

 

園内の山より、不忍の池へと向かいます。

(こちらも正確に言えば、上野公園内)

 

先に見えるのが、弁天堂でございます。

途中に屋台が数件あり、心惹かれましたが、我慢我慢

 

 

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不忍の池を後に、また元のお山へと戻ります。

階段を登り上り終えて、さらに上っていくと、【清水観音堂】があります。

 

 

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左上の写真は、観音堂に上る前に撮った月の松。

右上の写真は、逆に観音堂から弁天堂を撮った写真です。

ここ観音堂は、京都の清水寺に模して、1631年に建立されました。

さすがに江戸の歴史は京都にはかなわんですな~・・・

 

 

 

 

そして、駅方面の出口へと向かいます。

そこには、上野戦争にて1日で壊滅された【彰義隊の墓】

 

 

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最後は、やはり上野公園といえばこの人

 

 

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西郷どんです!

 

皆様ご存知の通り、西郷どんの本当の顔は今でも、はっきりしておらず、この銅像も

本来の姿ではないと言われております。

まぁ、そこが謎めいていて良いところなんですけどね~~

 

 

 

 

 

上野公園を後にして、JRへと戻ります。

 

 

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それにしてもアメヤ横丁こと「アメ横」はすんごい人でした!

そして、上野駅といえば、やはり「北の玄関口」として有名ですよね~

「あゝ上野駅」とか「津軽海峡冬景色」とか・・・

「あゝ上野駅」はよくわからんのですが、「津軽海峡冬景色」は今は亡き私のお爺ちゃんが、

石川さゆりさん大ファンで、いつもレコードで聴いていました。

(小学校低学年くらいだったか・・・?)

なので、今でもフルで歌えますよー

「上野発の夜行列車降りた時から~~♪」

 

 

以上、日暮里~上野後編でした~~~

 

 

【歴知隊~vol.30~(日暮里~上野前編)】

 

皆様、こんにちは! 暑~い時期がやってまいりましたね~

今回は、土曜日の休日に日暮里~上野間を探索してまいりました。

あいにく、この日はワイフが仕事ということで、一人での探索

チッチを連れて行こうか迷いましたが、すでに気温が30℃を超える真夏日・・・

さすがに何時間も猛暑の中、連れまわすのは酷ということでチッチ同行は断念しました

しっかし、5月で真夏日とは・・・ しっかり水分補給しないと死んでまう~~~

 

 

 

 

 

まずは愛車の【マー坊Jr.】に乗って、大森駅へ。

 

0001

 

ちなみにマー坊Jr.の泥よけカバーには、私のトレードマーク【サワダガラス】が貼ってあるのでした。

 

 

 

 

 

 

京浜東北線に乗車し、いざ日暮里へ!    写真の西口・谷中方面へと向かいまする。

 

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西口を出てすぐに、【谷中霊園】があります。

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ん? 早速、人が集まってる。 誰のお墓かもわからないまま、とりあえず便乗して撮影

墓石には「坂東家」と刻まれております。帰って調べましたが、結局わかりませんせした

 

 

 

 

次に向かったのが、天王寺。

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上に書かれている五重塔の跡地 ↓

 

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しっかし、こんな大事な遺産を放火するなんて、どこのどいつじゃ~~~

 

 

その他、この谷中霊園には、いろいろな著名人のお墓や石碑etcがございました。

 

 

【川上 音二郎の銅像台座】

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なんじゃ、この「オッペケペ節」って?? 習った覚えがない・・・

 

 

 

【高橋 お伝のお墓】

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たしかに綺麗な花束が・・・ 本当に悪人だったのだろうか? 真相はいかに・・・

 

高橋 お伝

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E3%81%8A%E4%BC%9D

(ウィキペディアを見る限り、たしかにもてそうな顔してる

 

 

 

ここでは一部しかご紹介できないので、実際に谷中霊園に眠る著名人を

http://www.e-ishiya.com/reien/yanaka/yanaka3.html

 

 

 

 

 

 

まぁ、なんと言ってもここに眠る著名人の代表といえば

 

 

 

 

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そう、徳川家最後の将軍、慶喜さんで~す!

 

 

 

 

 

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このおじ様が、お二人に何やら説明しているのですが、とにかく、そこを退いてくれない

わざと咳払いしたり、カメラを持って待機してるのですが、まったくお構いなし・・・

最後は根負けし、強引に割り込み、お墓を撮影。

 

 

 

 

0012

 

左のお墓が慶喜公で、右が正室の美賀子夫人だそうです。

慶喜さんには、側室が数名いて、美賀子夫人との仲は決して良くなかったとか。

お互いに望んで一緒のお墓に埋葬されたのかは不明ですが、側室ね~

今の時代も認められていたら(只今妄想中・・・)  これ以上のコメントは控えさせていただきます。

こわいこわい

 

 

 

谷中霊園を抜け、上野公園へと向かう途中にも歴史を感じる建物がいくつか。

 

 

 

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①は【谷中岡埜栄泉(やなかおかのえいせん)】

明治33年創業の老舗で豆大福が大人気だそうです。(中にお客様が大勢いました)

そして、その豆大福というのが

↓↓↓

 

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②は【カヤバ珈琲】

ここもすごい人でした。

 

0013-01

 

 

 

この時点で探索から約2時間歩き続け、さすがに疲れてきた・・・

甘いものも食べたいし、珈琲も飲みたい

だけど、小心者の私は、一人では入店できず、ペットボトルのお水を片手に先に進むのでした

 

 

 

お次は、【旧吉田屋酒店】

 

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ん~ ここも渋い建物!

 

 

 

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以上、日暮里~上野前編でした~

 

 

 

 

 

 

おまけ~

 

ここ最近、公園や人様の家のお花をちょいちょいUPしていますが、それではいかんと思い

自分でお花ちゃんを育てることにしました

 

 

 

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ただ・・・

これからの暑い時期に、うまく育てれるのだろうか??(実際うまく育たない・・・)

どなたか、お花ちゃんの上手な(簡単な)育て方をご教授くださいませm(__)m

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、締めくくりはチッチのこわ~~い写真。

娘が暗い部屋の中にチッチを探し、フラッシュで撮影したところ・・・

↓↓↓

 

 

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目が光っっちょる~~~

もしかして、コイツ本当はエイリアンかサイボーグなのか??

だとしたら、誰が何の目的で送り込んできたのか・・・  

【歴知隊~vol.29~(有楽町~半蔵門編)】

皆様、こんにちは!

最近サボっていた【歴知隊】(何度も言いますが、レキシリタイです) ゴールデンウィークに探索してきました!

 

私の数ある探索本の中から選んだ本は

(というものの、ほとんどBOOK OFFですけど)

↓↓↓

 

0001

 

 

 

そして、その本に掲載されている今回の探索ルート

↓↓↓

 

0002

 

 

 

ということで、有楽町~半蔵門の旅を開始いたします!

 

0003

有楽町駅を出てすぐに、【イトシア】があります。ここの地下に、なんと

 

 

本には掲載していなかったのですが、有楽町に【南町奉行所】跡があることは知っていたので

ちょいと寄ってみました。南町奉行所といえば、あの大岡越前ですよね~

 

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ちなみに、東京駅の八重洲北口には、遠山の金さんこと遠山左衛門尉景元が勤めていた北町奉行所跡があるのでした。

 

 

 

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①日比谷方面に向かいます。

②写真を載せたものの特にコメントなし

③でた~ハトバス。あちらこちらで見かけました。ハトバスツアーも良いけど、やっぱり歩かなきゃ!

④先に見えるのが皇居です。都会から一気に歴史を感じる街に。

 

 

 

国道1号線沿いに日比谷公園があります。

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ここ日比谷公園は、明治36年(1903年)に開園した、わが国最初の洋式公園です。

江戸時代は、長州藩・毛利家・佐賀藩・鍋島家の上屋敷があり、その後明治25年まで陸軍

の練兵場があったそうな。

 

 

園内には歴史を感じる建物etcが多々あります。

 

 

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ふむふむ・・・ ここが伊達政宗の終焉の地だったとは・・・ 知らなかった。

 

 

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歳をとると、なぜかお花もに興味が

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ま~ 綺麗

 

 

日比谷公園を抜けて国道1号に戻り、桜田門へと向かいます。

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この周辺には、私には全く縁のない恐れ多い建物がたくさん

 

 

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これは、【法務省旧本館】

本格的なドイツ・ネオバロック様式の外観に特徴があり、都市の景観上貴重で歴史的価値が

高い為、平成6年に重要文化財の指定を受けました。

しっかし、重要文化財になるの遅いの~

 

 

 

桜田門といえば、なんといっても【桜田門外の変】

大老・井伊直弼が水戸浪士らに暗殺されたことで有名ですね。

詳しくは

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E7%94%B0%E9%96%80%E5%A4%96%E3%81%AE%E5%A4%89

 

 

門外ということは、どこで襲撃されたのか・・・

調べてみたところ、警視庁あたりと記されていたので、きっとこの辺りだと思われます。

0014

 

 

 

そして警視庁から桜田門へ徐々に向かっていきまする。

 

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そして、いた~い探索ミス

桜田門を入った先に、これまた有名な二重橋があるのにもかかわらず、先へと急ぐあまり

忘れてもうた~~~

 

 

 

気を取り直して先へと進みます!

20号線(内堀通り)を半蔵門方面へと向かうと、途中に【国会前庭洋式庭園】があります。

 

0016-00

 

ここ国会前庭洋式庭園は、江戸時代には井伊直弼低があり、明治以降は陸軍の参謀本部

が置かれていました。

 

 

また、全国の土地の標高を決める基となる【日本水準原点標庫】がございます。

こちらも有名ら良いですが、ようわからんです・・・

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庭園をぐる~っと1周して帰ろうとした時・・・

ムムム  ムムムムム

なんだか見覚えのある景色が

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上の写真を見て、ピンときた方いらっしゃいますか??

私は気づいてしまいました

っても、あるドラマを観ていなければ、まったくわからないのですが。。。

すぐ見えないように行間隔を開けますので、考えてみてくださいませ^^

正解は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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3億円事件をテーマにした【クロコーチ】の最終話のラストシーンでした!!!

 

正解した方には、私に会った際、「私、当てましたよ」とおっしゃっていただけましたら

漏れなく、うまい棒を差し上げます。(味は選べませんので悪しからず)

 

 

 

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長瀬さん扮する黒河内さんが指す先には・・・

 

 

 

 

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警視庁が。

私が撮った写真と同じ場所ですよね??

 

念のため、黒河内さんにも確認してみたところ

 

 

 

 

 

 

 

 

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と言っていただけました(笑)

いや~、これって観てない方には、なんのこっちゃわかりませんね(苦笑)

失礼しました。。。

 

 

また庭園に行く途中に撮った国会議事堂も

 

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これは、私が撮った写真です。

 

 

 

一方、こちらがクロコーチ

↓↓↓

0023

矢印のとこから、私は議事堂を撮影しました。小さいですが、横断報道を黒河内さんと

清家さんが歩いております。

 

 

 

 

20号の戻り、半蔵門へと向かいます。半蔵門に向かう途中にもいろいろな建物が

 

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①皇居のお堀。この日はこどもの日だったからでしょうか? お子様と一緒に走るマラソン

大会が開催されておりました

②最高裁判所です。お世話にならないよう気をつけます・・・

③国立劇場。今は何が上演されているのかな??

④半蔵門です。伊賀忍者の服部半蔵から名付けられています。門外に半蔵の組屋敷あった

そうですが、先に進めずガッカリ

 

最後に、平河天満宮。

はじめ太田道灌が江戸城内に勧請したそうですが、家康が本丸を直した際に平川門外に

移したことから称されたそうな。

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以上、有楽町~半蔵門編でした!

 

 

 

おまけ~~~

 

探索の翌日、アクアライン経由で木更津のアウトレットへ行ってきました~

当然お買い物も目的のひとつではあったのですが、本当の目的は・・・

↓↓↓

 

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そうなんです。長女が免許を取得したのです!

ということで、運転の練習が本当の目的でした。

ひとつ言えることは、とりあえず「こわ~~~い」

後ろに乗車している、ワイフも前に乗り出して、細かく指示していました(免許持ってないのに)

そして、何故だかチッチも震えていました  わかるのかな~??

これで、私も楽になるのかと思うと同時に、自分で運転したほうが正直楽だという思いも・・・

 

 

 

 

 

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ここの施設は犬も一緒に入れます。お店にもよりますが、店内も入れるんですよ~

まぁ、買い物といえば、女性がメインなので、ほとんどの時間を私とチッチとで過ごして

いました。

 

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暇だったので、お花ちゃんもついでに撮影

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この後、無事に家にたどり着きました・・・

 

 

 

 

そして、5月6日はチッチ2歳の誕生日~~~

随分と大きくなりましたが、今でも可愛くて仕方がない

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0032

 

長々と失礼しました。

以上で終了で~~~す

【歴知隊~vol.28~(彦根城編)~】

皆様、こんにちは!

早いもので、今年も残すところあとわずか・・・

2013年は格別のご愛顧賜り、厚く御礼申し上げます。

今年は雑貨事業部にとっては、なんとか踏ん張ったとうのが正直な感想でしょうか。

特に自社開発商品は、円安を含め輸入コストも上がり、一部商品を除き販売価格据え置きで

頑張ってきましたが、今年は・・・?

来年も消費税増税を考えると、買い控えも予想され、楽観視はできませんが、皆様に喜ばれる

商品を来年も開発していきたいと思いますので、2014年も倍旧のお引き立ての程、お願い申し

上げます。

でもこれを読まれる頃は年が明けているかもしれませんね。。。

 

 

最近、他営業のブログを見ると、私がチョイチョイ登場してきますが、あれは私が皆に強要

しているわけではないですよ。勝手に載せてるだけですからね~(無断で

ただでさえ、ナルシストだとか自分好きとか言われているので、きちんとお伝えしようかと。

ほんとは嬉しかったりして

 

さて、今回の歴知隊は、滋賀県は彦根市の

↓↓↓

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「彦根城」でございます!!!(ツアーバスからの撮影)

といより、すでにタイトルに出しちゃってるのでバレバレですね・・・

 

ここ彦根城は国宝(天守)や国の重要文化財のある貴重なお城でございます。

詳しくは

↓↓↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A6%E6%A0%B9%E5%9F%8E

(最近、横着してるな~)

 

 

駐車場から徒歩で彦根城へたどり着く途中にも多々歴史を感じる建物・風景がありました。

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この「馬屋」は元禄時代(300年以上前)に建てられ、藩主の馬十数頭が繋がれていました。

馬屋としては、ここ彦根城だけに今も残されており、非常に珍しい例だそうです。

 

 

 

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左上の石垣は、別のツアーで来ていた、お爺ちゃま軍団が

「こっちが近年で、こっちが昔からある石垣じゃな」っておっしゃってました。

どっちがどっちか記憶にないですが、おそらく右側が昔からある石垣っぽいですね。

 

 

そしてこれが正面から見た彦根城~~~

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 あいや~、威風堂々としておりますな~

 

 

天守閣から撮影した風景♪

紅葉と琵琶湖が・・・ん~たまらん

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下の写真を見る限りでは、人の列が凄いことになっています。

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この原因は・・・

↓↓↓

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一歩一歩ゆっくりいかなければ落ちてしまうくらいの、すご~く急な階段なのです。

後に気付きましたが、手すりにつかまっている力が凄すぎて、手が鉄臭くなっていました

 

 

お城に貼ってあった、「ひこにゃん」の住民票です。

一人¥600近く徴収されているんだから、ちゃんと住民税は払ってね~

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そんでもって、ワイフが楽しみにしていた、ひこにゃんとのご対面♪

(一緒に写真を撮ってと言われておりました)

1日に3回(1回約30分)登場するらしく、いざ会場へ!!!

がしかし・・・

会場へ入り、ひこにゃんが登場した瞬間は皆盛り上がっていましたが、2~3分経過した後の

司会者のコメント

「撮影会ですが、時間が限られていますので、ひとりひとりと撮影することはできません。また

これが、ひこにゃんの出来る最大のパフォーマンスです。この状態が約30分ほど続きます」

その最大のパフォーマンスが

 

0009

違った意味で会場にもどよめきが。。。

私も思わず、「うそだろ? ひこにゃん」と声に出てしまいました

個人的には、いわゆる「ゆるキャラ」に興味はありませんが、最近よく見る「ふなっしー」とか

を想像していただけに、非常に残念・・・ 当然のことながら、司会者のコメント後、私たちを

含め、ほとんどの観客がその場を立ち去りましたとさ。

彦根城を堪能した後、最後にこの結末。。。

ちなみに私の座右の銘の一つでもある「終わり良ければすべて良し」

やってくれたの~ ひこにゃん

 

以上、彦根城編でした!!!

 

 

 

おまけ~①(最近のチッチ♪)

 

クリスマス衣装を身につけてのお散歩で~す。

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そして、お散歩中に天敵をチッチが発見!

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車を間ににらみ合う両者。この状態が3分ほど続きます。

 

 

 

そして、いよいよチッチが動き出しました~

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え~~~ 逃げるんか~~~い

おまえ、いつになっても、だれにも勝てないの~

だれかさんと同じ人生だな・・・

 

 

おまけ~②

私ごとですが、先日4?歳の誕生日を迎えました。

事務所で黙々と仕事をしていると、いきなり「パーンパーン!!」といった音にビックリ

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嬉しかったけど、お爺ちゃんを驚かすのはやめてくださいませ。まだやらなくてはいけないことが

山ほどあるので、ここで死ぬわけには・・・

Kさん&W君、ありがとうございました!

 

 

気を良くして帰宅するも、家には誰もいない・・・

仕方がないので、チッチと記念写真を撮りました~~~

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ん~、冒頭では否定はしましたが、やはり「自分好き」かもしれない

 

 

 

【歴知隊~vol.27~(熱田神宮編)】

こんにちは!

ワイフと二人で(格安ツアー)パワースポット&歴史巡りの旅に行ってきました~~~

歴史にあまり興味のないワイフでも、パワースポット付きとなれば話は別。結婚してから

二人きりでの旅行は久しぶり、というより初? だと思われる・・・

有名どころを数か所廻りましたが、初回は熱田神宮をアップします!

まずは、羽田から飛行機で中部国際空港へ

 

 

羽田空港から撮った富士山。いや~しかし幸先良いな~

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中部国際空港から団体でツアーバスに乗り、熱田神宮へと向かいます

 

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熱田神宮は、有名なので皆様もご存じかと思いますが、三種の神器のひとつである

「草薙神剣」がまつられている大きな神社で、最近はパワースポットとしても注目を

浴びています。

初詣の参拝者数も毎年ベスト10には入っていますね。

 

 

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雰囲気に呑みこまれてなのかは定かではございませんが、空気が全く違う!

だんだんと清らかな気持ちになってきます。これがパワースポットなのか??

余談ですが、鳥居を通る時は、ただ礼をするのではなく、本宮の方向に向かって

自分の名前と住所を言うそうです。なんでも、そうしないと、神様が願いを叶えようと

しても、どこに行ってよいのかわからないそうな(苦笑)

って、近くにいたガイドさんが言ってました。

 

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おいおい、1900年を迎えたって・・・ まったく想像がつかん。いったいどんな時代なんだ?

 

 

本宮

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熱田神宮といえば、なんと言ってもこの「信長塀」ですね!

信長を近くに感じる・・・と思いつつ実際に信長は奉納しただけで、この塀を見たことが

あるのか?と考えてしまうのでありました。

 

 

格安ツアー&団体行動なので、贅沢は言えないのですが、時間が短い!!!

ここ熱田神宮の滞在時間は30分 最後はほぼ走ってましたね

 

 

会社に戻って、お札を祀ろうと、札入れは用意したものの、神棚が・・・

とりあえず、事務所にあったサンプルで応急処置。

神様お許しください

0012

 

以上、熱田神宮編でした。

 

 

おまけ~~~

 

新人W君の雄姿をご覧ください

本人はお取引先様と野球の話しになった時は、何の迷いもなく、ポジションはピッチャー

です。と言いきっていますが、実際は・・・ 末恐ろしや

スピードも早いし、カーブ&スラーダーも投げる良い投手なのですが、一番肝心の

コントロールが・・・ 次世代エースとして期待しています!

0013

最初で最後かもしれませんので、記念に残しておきます。

かくいう私も、みんなが守っている時に撮影しているということは・・・??

 

 

「はい、せ~か~い」

【歴知隊~vol.26~(江戸東京博物館編)】

皆様、こんにちは!

東京営業所の澤田です。

本社営業のM君も予告していた通り、江戸東京博物館編をお送りします♪

探索した日はモンタージュに出展した翌日となりますが、M君が夜羽田発ということで

それまでの間、お付き合いをすることに。ちなみにこの日新人のw君は疲れがたまって

いたのか、それとも一緒に行動したくなかったのか、見事にバックレました

 

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まずは、江戸ゾーンから

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おそらく、これは江戸の中心・日本橋かと思われますが、この橋を渡り江戸の世界へ!

 

これは、M君が予告した時の写真とかぶりますが、このあともちょいちょいこの男が登場

します。嫌だって言ってるのに、無理やりM君に強要され仕方なく写っているみたいです・・・

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あっ、もうお気づきかと思いますが、「増のすけ」とは江戸時代のM君の先祖様です。

想像するに、多分籠の中の男が殿で、増のすけはきっとその家臣かなんかなのでしょうね

 

 

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江戸時代の長屋を再現

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「越後屋」って、あの「越後屋、お主も悪よの~」の越後屋だ~

でも、この三井越後屋って・・・

そう、今の三越でござんす。 知らんかった・・・

 

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芝居小屋の「中村座」

 

 

そして、時代は江戸から明治へと移っていきます。

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この「朝野新聞」は朝野新聞(ちょうやしんぶん)は、1874年(明治7年)9月24日から

1893年(明治26年)11月19日まで東京で発行された民権派政論新聞だそうです。

 

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しっかしコイツ、ほんまちょこちょこ出てくんな。

あっ、時代は明治になったので、M君の先祖様が「増のすけ」から「増太郎」に変わって

います。ご注意ください。

 

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ん~ 渋~い!

 

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増太郎、大丈夫かな~?

 

 

そして、時代は昭和へ

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このときは、2020年のオリピンク開催地は決まっていませんでした。

感慨深い

このマラソン選手はアベベ??

 

 

最後の最後まで申し訳ございません。。。

0014

あっ、時代は昭和になったので、M君の先祖様が「増太郎」から「増雄」に変わって

います。ご注意ください。

 

以上、江戸東京博物館編でした。

 

その他にも、鹿鳴館や空襲、関東大震災など、いろいろと常設されておりますので

歴史に興味のある方は、是非訪問してみてください。

 

 

【歴知隊~vol.25~(虎ノ門~浜離宮後編)】&チッチ♪

皆さま、こんにちは!

東京営業所の澤田です。

 

オリンピック東京開催おめでと~~~う

いろいろと不安なところもありますが、決まった以上はお国のために何らかの

お役に立てればと思う今日この頃でございます。

「お・も・て・な・し」 クリステルちゃん、響いたよ~

何度も観ましたが、おもてなしの「も」のところで、すでに手が真ん中にきた時

に、5文字の配分を心配してしまったのは、私だけでしょうか?

 

それにしても、なんか寒い・・・

数日前まで暑かったのに、ここ最近なんか寒い・・・

ということは、秋の訪れを感じさせる金木犀のあの甘~い香りがして

くるのかな??

(秋を飛ばして冬になってしまう気も・・)

 

 

はい、ということで今回は「虎の門~浜離宮」の最終編です。

近くを通るたびに行ってみたいと思っていた【浜離宮】に到着

 

入り口手前の橋~門構えを見ただけで、もう大興奮。

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※写真左下の川沿いに見える石垣は江戸時代からのものです。

 

ここ浜離宮は幕末には将軍家の別邸「浜御殿」でしたが、庭園ができたのは

4代将軍・家綱のころです。別邸として埋立を行って屋敷にしました。

幾度かの改築を経て、現在の姿は11代の家斉のころに完成したと

いわれています。

(昭和22年に国の特別名勝&特別史跡に指定)

 

 

浜離宮の園内図

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園内はお年寄り~カップルまで幅広い層の方たちが訪れていました。

園内に入った瞬間、「いや~、落ち着くわ~」が第一印象。

それにしても、都心に囲まれた中のこの空間は別格ですな。

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この堀は最近整備されて見やすくなったらしいですが、ここは船で物資

の荷揚げなどをするための場所と思われ、江戸時代の港湾施設の構造

がよくわかります。かつてはこのような川岸といわれる場所は江戸の街の

あちこちにあったようですが、今はほとんどないので大変貴重なものだそうです。

 

 

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そしてこの池が、庭園のメインとなる「潮入の池」でございます。

海水を引き入れ、潮の干満によって池の趣を変える様式で、都内にある

江戸の庭園では唯一現存する海水の池です。

 

 

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潮入の池の岸から中島を結ぶ延長118mある総檜造りの橋で、昨年改修

されました。

 

 

中島にある「中島の御茶屋」

宝永4(1707)年に造られて以来、将軍をはじめ御台様、公家たちがここで

庭園の眺望を堪能した休憩所。現在の建物は復元され、抹茶・和菓子セット

をお楽しみいただけます。

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ん~,たしかに落ち着く眺め。

私も一服したかったのですが、カップルだらけの中、気の小さな私は一人で

入ることは出来ませんでした

 

 

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園内を一望できる「富士見山」

名前からいうと昔は富士山も見えたのでしょうけど、今はビルが立ちはだかって

いるため見ることはできません。残念。。。

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富士見山からの1ショット

今昔を感じさせますね~

写真下に咲いている紫陽花のアップ

 

 

海沿いを歩いていくと石段のようなものが見えてきます。

ここは大きな船から小舟に乗り換えて上陸する場所で、なんと将軍専用の

もので、「将軍お上がり場」と呼ばれています。幕末には、鳥羽伏見の戦い

で敗れた徳川慶喜らの一行がここに上陸しました。

あれ? そういえば、今放映されている「八重の桜」で徳川慶喜を演じる

小泉孝太郎が、鳥羽伏見の戦いで大阪から逃げるシーンがありましたね~

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最後に園内を1周して戻ってきたところにある「三百年の松」でございます。

将軍・家宣がここを改修したときに植えたといわれています。

都内でも最大のクロマツみたいですが、しっかし、この松の形・姿は

迫力満点です

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以上、浜離宮でした

もっと紹介したい場所もあり、実際に撮った写真は100枚を超えています^^

都心にあるこの庭園は、本当に心が和みますし、日々多忙な毎日を過ごして

いる方たちもきっと癒されると思いますので、是非ご堪能ください。

 

最近、お爺ちゃんになるスピードが速くなっていると感じる自分が・・・

来年あたり、盆栽始めているかもな~

 

 

【最近のチッチ♪】

チッチも生後1年半近くたち、人間の年齢でいうと、20歳くらいになりました。

(もう立派な女性ですな)

最近は頭も使い始め、まず私の横にきて、こんな甘えた顔をしてきます

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なんか嫌な予感・・・

 

そして、私の顔を見たあとすぐに必ず上を見つめます・・・

こんな感じや

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こんな感じや

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こんな感じで

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目線の行きつく先は

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そう、以前にイケアで購入したパペットをず~っと眺めるのです。

そして、再び私の顔を見る・・・の繰り返し。

あえて逆方向を向くと、向いた方向の横に来て見つめてくるのです。

さすがにいくら疲れていても、横に来て、それされちゃ

 

てなことで、こんな感じで

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毎日遊んでいま~~~す!

【歴知隊~vol.24~(高崎・榛名神社編)】

皆様、こんにちは~

日々続く猛暑日 たまらんですな~

四万十市が熊谷市を抜いて、国内最高記録を出しましたね~

喜ばしいとは言い難いですが、抜かれた熊谷市民の皆様は悔しいコメントがほとんど

でした。たしかに、何にせよ2位よりは1位の方がましなのかな。

 

夏休みを利用して、家族で群馬県は伊香保温泉へ行ってきました~

(当然チッチも一緒です)

周辺に歴史ある神社がありましたので、今回は「虎ノ門~浜離宮編」をお休みして、

高崎市・榛名神社編をお送りします!

 

1泊2日の短い旅でしたが、伊香保周辺には、あまり多くの観光場所がないので、

ちょうど良かったかも。

(伊香保在住及び出身の方には誠に申し訳ないです・・・)

 

伊香保温泉街の近くの「グリーン牧場」でBBQを堪能

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それにしても、あつ~~~い

 

 

そこにはこんなポスターも

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いや~、さすが群馬県民の秀ちゃん、いろんなところで貢献してますね~

 

 

榛名(ハルナ)湖にて定番の白鳥ボートに乗って撮った写真

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右の山が榛名山です。

標高はそんなに高くはありませんが、富士山に負けず劣らずの素晴しいフォルム

 

チッチも同乗

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チッチにしてみれば、朝早く起され、長い間車に乗せられ、わけわからん場所に

連れて行かされ・・・ きっと不安だったでしょうね。

ごめんね、ごめんね~(ふる~)

 

 

旅館での夕食

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ズワイガニ美味しかった~

 

ん~、充実した旅行でした!

 

 

さて、ここからが歴知隊となります。(相変わらず長くてすみません)

実際に、ここには(榛名神社)行く予定ではなかったのですが、看板があったので、

ちょっとだけ寄ることに。

意外にも由緒ある立派な神社だったことに正直驚きました。

当然のことながら、歴史に興味のない子供とチッチは車でお昼寝タイム。

(ワイフは辛うじて同行してくれました)

 

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 ここ榛名神社は、延長5年(927年)に完成した「延喜式神名帳」という、全国の

主要な神社の名を書き記した記録の中に「上野十二社」の一つとして載っています。

この記録に載っている神社は「式内社」と呼ばれ、この当時すでに格式の高い神社

であったことがうかがえます。

詳しくはWEBで^^

↓↓↓

http://www.haruna.or.jp/

 

 

軽い気持ちで行ったつもりでしたが、本殿に辿りつくまでの参堂が予想以上に長かった。

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ただ、本殿まで道のりには、数箇所国指定の重要文化財や天然記念物がありました。

ここでいくつかの文化財等をご紹介します。

 

矢立スギ(国指定天然記念物)

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高さ55メートル、幹の周囲9.4メートルを誇る樹齢400~500年の巨木です。

矢立とは武将たちが戦勝、領内安全等を祈願するため、木に矢を射立てる儀式の

ことで、この巨木に武田信玄が戦勝を祈願して矢を射立てたという伝えがあるそうな。

 

 

双龍門(国指定重要文化財)

安政2年(1855年)に建てられた四脚門。総ケヤキ造で全体に彫刻が施された高い

装飾性をもつ建物です。

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神楽殿(国指定重要文化財)

明和元年(1764年)に再建された建物です。神楽を本殿の神様に向かって奏上するために

舞台の床の高さは本殿の床の高さに合わせて造られているそうです。

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本殿(国指定重要文化財)

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そして、これまたビックリの出来事が・・・

参堂途中にハケブラシ記念碑がありました。特別歴史的なものは感じず素通りしようかと

思ったその時、見覚えのある名前が・・・

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名児耶 清・・・?

昨年逝去されましたが、マーナ3代目社長(現社長のお父様)の名前じゃありませんか。

元々は刷毛の製造で開業されたことを思い出し、なるほどね~と思いながらも

「なぜここに?」という疑問が・・・

調べてもわかりませんでしたので、今度機会があれば社長さんに聞いてみます。

 

 

ということで、当初訪れる予定じゃなかった場所にいろんな意味で驚かされた

探索でございました。

【歴知隊~vol.23~(虎ノ門~浜離宮中編)】

皆様、こんにちは~!

あつ~~~い

梅雨もあまり感じないまま、夏がきてしまいました

汗&油だらけのオッサンには欠かせないアイテム

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はて、今回は・・・

っとその前に、今回の探索に活用している本がこれです。

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アマゾンで購入したこの本を片手にあくせくと探索しておりますです^^

 

そして、口頭ではお伝えし難いので、今回の検索ルートもUPさせていただきまーす!

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それでは、前回のアメリカ大使館の続きから・・・

ホテルオークラをぐるっと1周して、新橋方面へ向かいます。

途中に「新橋赤レンガ通り」があります。

この赤レンガ通りは、江戸時代は「愛宕下大名小路」と呼ばれ、両側に多くの上屋敷

が並んでいました。当時日比谷通りはなく、この道がメインだったそうです。

三春藩秋田家(福島県・5万石・外様)、長瀞藩米津家(山形県・1万1千石・譜代)

伊勢崎藩酒井家(群馬県・2万石・譜代)etc小藩が多くなっています。

ただ今は、全く昔の面影はないです。

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このあたりから、著者がルートの説明を横着し始め、それまでは建物や目印を右左折等

の親切な書き方から、東西南北で指示し始めました。

方向音痴な私に、この都心で東西南北で指示するとは・・・

「そんなの、わかるわけなかろーもん

さすがに1/4の確率では、私の方向感覚だと・・・

ということで、間逆の方向へ進むのでありました

 

 

次の目標は、日テレだったので、ここで必殺のスマホナビを頼りに何とか目的地に到着!

本当は歴史探索に、現代のアイテムは使用したくなかったが、このままだと、自分がどこに

向かってしまうのか、まったくもって自信がないため、やむなく使用と相成りました(悲)

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このすぐ近くに、縁石に再利用されている汐留遺跡から出土した大名屋敷の石。

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 ここには、看板もなく、この本を購入しなかったら、一生巡り合えて

ないでしょーなー。 これ歴知隊っぽくて、い~ね~

 

ここ日テレ近辺に屋敷を置いたのは竜野藩脇坂家(兵庫県・5万1千石、譜代)、伊達家、

会津藩松平家でした。このうち脇坂家と伊達家は上屋敷、松平家は中屋敷です。

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 地上から地下へ降り、地下通路を支える太い柱に伊達家上屋敷の絵図面とともに、

解説が記してあります。

 

 

明治維新後、汐留には日本最初の鉄道始発駅となる新橋駅が作られました。

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いや~、しかしお腹がすいた~

この時点で探索から約3時間経過・・・

足の裏も痛くなってきたし、ここでランチタイム

1人だし、自分へのご褒美として(何の?)ちょっとくらい贅沢しても良いかな~ってことで、

銀座ライオンにてビールとステーキを喰らう!

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ちなみ、このブーツ型のビアグラスは、つま先部分をを口元に向けて飲まないと大変なことに

なりますので、ご注意ください。

反対にして飲むと、口元から離した後にビールが飛び出てきますよー^^

 

 

 

最終目的の浜離宮へ向かう前に、ちょっと寄りみちを。

浜離宮方面とは逆に少し行くと、X型をした歩道橋があります。

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各橋脚(4箇所)に汐留から発掘された手洗鉢、礎石などが展示されております。

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場所の案内などもなく、もったいないですが、江戸の貴重な遺物を見れる数少ない場所です。

さらに残念なのが、その橋脚4箇所のうち、2箇所にはホーム〇スの方が在住している始末

 

 

なんか、嫌な終わり方となってしまいましたが、今回はここまでです!

次回後編(最終編)は、まるっぽ浜離宮庭園となりまする。

 

 

おまけ~

最近のチッチは、長女に寄り添うことが多く、こんなアリ様です。

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俺の愛が足りないのか・・・ 

おやつやオモチャなど、都合の良いときだけ、寄ってくる・・・

チッチ、お前も娘同様に俺に寄ってくるのは、が目的か??