皆様、こんにちは! 東京営業所のSです。
東日本大震災から5年が経過しました。
5年前の3月11日は会議をしておりました。私はその時、明石本社にいましたが、他の東京
メンバーとはテレビ電話みたいなもので繋がっており、画面越しに慌てて逃げる東京メンバー
を今でも鮮明に憶えています。(東京もかなり大きな揺れでした)
改めまして、震災により亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された
皆様に、お見舞いを申し上げます。
まずは・・・
先月【信長協奏曲】の劇場版をワイフと観に行ってきました~

今回の劇場版はドラマの続きで、約1年と数ヶ月待ちました・・・(長すぎ~)
間が空き過ぎたため、映画を観る前に家で録画したドラマを観て復習。
最後は、あーそうなるのね~って感じでしたが、面白かったですよ~
私がこの時代にスリップしたら・・・預言者として君臨しても歴史を変えてしまうし、黙って
いられそうもないし・・・ とりあえず、家康ちゃんについとくしかないな

私が行った映画館は穴場で(朝一ということもありますが)ご覧お通り、ほぼ貸切状態でした
先週は明石本社へ出張。
お昼にラーメンを食しました。私は家系ラーメンが大好物で、本社の近くですと
「らーめん2国」になるのですかね。 見た目よりも意外とあっさりしています。
(麺の太さは普通なので、家系ではないかも・・・)
そして、東京営業所近辺の家系といえば、何度かUPしている「さつまっこ」

ともにチャーシューメンです。
人の好みもありますが、やはり私は「まっこ」派ですね~
でも、2国も美味しかったです。 ご馳走様でした
それでは本題へ!
今回は【赤穂(あこう)編】となります。 あかほ ではないですよー
忠臣蔵の赤穂浪士(あこうろうし)といえば、ピンとくる方も多いかと思います。
赤穂市は兵庫県の西南端、岡山県との県境に位置しています。

今回の探索マップ(現地看板を使用)

まずは①の赤穂城跡

ここ赤穂城跡は浅野長直(ながなお)によって1648年から13年の歳月をかけて築かれた海岸平城です。
平成18年には「日本100名城」に選ばれました。
築城年代からいえば、近代に築城されたってことでしょね。



大石頼母助(たのもすけ)は、あの大石内蔵助(くらのすけ)の大叔父あたる人物で、家老職
にありました。二の丸に屋敷があるということは、かなり重用されたのだと思われまする。
二の丸から本丸へ



ほんまる~~~

お城自体はありませんが、発掘調査で分かった本丸御殿の位置を部屋ごとに詳細に平面
復元しています。
歴史館で復元された模型を見た限りでは、平屋?っぽかったです。

天守台から見た本丸

よ~く見ると、赤穂の赤の字が!

本丸を出て、三の丸向かいます。
三の丸内には

赤穂事件において討ち入りをした赤穂浪士を祀る神社です。
明治天皇の宣旨を契機に、大正元年に大石内蔵助をはじめ四十七義士を祀る神社として、
播州赤穂城内大石内蔵助の屋敷跡に創建されました。
なんでも江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って顕彰することができなかったそうな。
無駄死にならなくて良かった。 (吉良派の方々、すみません)

さすがに全員は載せれないので、とりあえず有名な方を・・・(しかも大内さん逆光・・・)

【浅野家 大坂蔵屋敷の舟石】

赤穂浅野家、大坂藩屋敷の庭にあったそうです。(自然石・花崗岩の1枚岩!)

心に響く? どんな音だろうか??
音を確認したい方は下記URLよりダウンロード願います
http://xfs.jp/ENiU0
(ホンマにたいしたものではないです・・・)

探索ルートがかぶっているのか、さっきから、ちょくちょく私の写真に写りこんでくる
このオジサマ・・・
あーーー
へたこいた~ 
紹介するの忘れとったー
何を隠そう、わが社の常務 H田さんでした~
本当は私一人旅の予定でしたが、前の日の晩に急遽参加が決定!
赤穂まで車で乗せてきていただきました。 ご紹介が遅くなり誠に申し訳ございません
きっと、このブログを読みながら
「こいつ、ホンマにこのままワシのこと紹介せんつもりか?
」
と思っていたでしょうね
ん? 何やら、ゆるキャラらしきものが登場してきた。

一緒に記念撮影
(撮影協力=H田常務)

羽織をよーく見ると、かれはどうやら「陣たくん」という名前らしい。
写真ではわかりませんが、頭のてっぺんは陣太鼓になっていました。
お次は、【大石邸長屋門】


浅野家赤穂藩の家老、大石家三代の屋敷の長屋門で、屋敷は畳数にして308畳の広大
な屋敷だったそうです。(でかっ)
浅野内匠頭(たくのかみ)の刀傷事件の際に、その知らせを持って駆け付けた
早水藤左衛門と菅野三平が実際に叩いた門だと言われています。
建物の大半が火災により焼失しましたが、この長屋門だけ焼失を免れ、城内に
残された数少ない江戸時代の建造物として非常に価値が高く、人気のスポットと
なっています。(国指定史跡)
そりゃーもう赤穂藩にしてみれば一大事なので、必死に叩き起こしたのでしょうね


三の丸を出て城外(城下町?)へと移ります。
【息継ぎ井戸】

先にもご紹介しました、早水藤左衛門と菅野三平の両名が大石内蔵助邸(大石邸長屋門)
へ入る前にこの井戸で一息ついたと言われています。
【かん川本舗】

塩造りが盛んだった江戸時代から作られてきた播州赤穂銘菓・塩味饅頭。
多くの和菓子店がある中でも評判の店が、このかん川本舗だそうです。
H田常務情報でした。

うん、たしかに塩がきいて美味しかったです。
次の目的地である、花岳寺に向かう途中の商店街。

写真では分かりにくいのですが、良い雰囲気をかもしだしていました。
【花岳寺】

浅野長直公によって1645年建立されました。浅野家と義士に関する貴重な資料を展示する
宝物館、四十七士の彫像を安置する義士木像堂、義士墓所があります。

最後の目的地歴史博物館に向かう途中の町並み。

一般の方のお住まいです。

H田常務情報~~~
この仕切りみたいなものは、「うだつ」といい
隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁だそうです。
ちょいちょい、いろんな情報を教えていただき、一緒に連れてきた?甲斐がありました。
(上から目線・・・ まっ、でも私が隊長なんで、お許しください)
ん? うだつ?? もしかして「うだつが上がらない」って、ことわざと関係が・・・
調べたところによると
うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、これが上がっている家は
比較的裕福な家に限られていた。
これが「生活や地位が向上しない」「状態が今ひとつ良くない」「見栄えがしない」という意味で
「うだつが上がらない」の語源のひとつと考えられているそうな。 なるほど~
最後の目的地【歴史博物館】

基本撮影はNGだったので、写真でのご紹介はできませんが、城と城下町の模型や上水道
の説明、そしてメインは、やはり「赤穂の塩」でした。
ちょいと撮影

オッサン二人で、イスに座ってビデオ鑑賞
説明によると
赤穂は古くから塩の産地として栄え、なかでも江戸時代には入浜塩田による製塩法が完成され、その技術は瀬戸内地方を中心に広く伝わりました。
入浜式塩田は、かん水を採るための装置で、揚浜式塩田との違いは、人力で海水を汲み上げることはせず、塩の干満の差を利用して海水を引き入れ毛細管現象によって砂を湿らせるところです。遠浅の海岸に大きな堤防を造り、満潮・干潮時の水位の高さの中位に塩田面を築きました。浜溝に海水を導き、毛細管現象によって砂層上部に海水を供給し、太陽熱と風で水分を蒸発させ、砂に塩分を付着させます。この砂を沼井に集め海水をかけて、かん水を採りました。
この方法は潮の干満差を利用した画期的な方法で、17世紀半ばに瀬戸内海沿岸で開発されてから昭和30年代まで続きました。
こんな感じ

歴史館に展示してあった看板を見る限りでは、この入浜式塩田は赤穂が発祥で各地に
広がったようです。
朝早くからスタートしたせいか、お昼前には予定していた探索が終了~
そこで、H田常務の立案で海を見に行くことに

瀬戸内海浜公園
瀬戸内海国立公園は、昭和9年に雲仙や霧島とともに我が国で最初に国立公園の一つとし
指定されました。紀淡、鳴門、関門、豊予の四つの海峡に区切られた面積の広い海域が公園
区域として指定されており、陸域・海域を含めると日本一広大な国立公園です。

パノラマ撮影をしましたが、うまくいかん・・・ 勉強しよっと。
海を眺める50代と40代のオジサン二人・・・ 周りからはどんな関係だと思われているのだろう??
やっと昼食
赤穂といえば、これまた有名な牡蠣(知りませんでしたけど・・・)
海沿いには、いくつものカキ小屋がありました!
私の分も焼いてくれる優しいH田常務
普段はぶっきら棒なだけに、意外な? 一面を見ることができました

屋台のカキ入りお好み焼き、通称「カキオコ」
屋台だから、そこそこかな~と思っていたら、フワフワでとても美味しかった~~~
以上、赤穂編でした!
案内&送迎をしていただきましたH田常務、本当にありがとうございました。
このご恩は、3ヶ月ほど忘れません!!
