どっちにしても、横浜後編をお届けします!
前編は【神奈川県立歴史博物館】までご紹介しましたので、続きは・・・
【旧生糸検査所】となります。
日本有数の貿易港である横浜港にとって、
最も重要な役割を果たしていたのが生糸だったそうです。
大正15年横浜ゆかりの建築家遠藤於菟の設計により、
「キーケン」の名で親しまれた生糸検査所は建てられたとのことで、
関東大震災復興期の建築としては最大規模を誇ります。
現在は横浜市の第二合同庁舎となっています。
【万国橋】
関内と新港地区結ぶコンクリートアーチ橋。
みなとみらいの高層ビルと望む景色が人気で、
ドラマや映画のロケでも度々登場しています!
【赤レンガ倉庫】
万国橋を渡り、目指すは【赤レンガ倉庫】なり~
このあたりから、徐々に人が多くなってくる。。。
正面の方へまわり、あまりの人ごみにビックリ!!
なんとま~ その日は「全国ふるさとフェア」が開催されてました。
アナウンスを聞いていると、その日はどうやら、花火大会もあるらしい。
どうりで、人が多いはず。
行く先・行く先 カップル&家族連ればかり・・・
(そりゃ~そうだろ~)
そこでフト我に返って考える・・・
歴史探索で、意気揚々と横浜に乗り込み、
気付いたらカメラ片手にカップル&家族連れの中に
野郎が一人・・・ そして隊長は思う。。。
「淋しい~~~[E:weep]」
いかんいかん
こんなことで、弱音を吐いていては、他の隊員に示しがつかない!
って、隊員俺しかいね~~~
(もういいか、このパターンは・・・)
そんなこんなで、なんとか気持ちを切替え、
赤レンガ倉庫の写真を撮りました。
そういえば、【赤レンガ倉庫】を説明するの忘れてました[E:coldsweats01]
赤レンガ倉庫は、明治末期から大正初期に
国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物です。
創建当時から横浜港の物流拠点として活躍してきました。
横浜市では、『ハマの赤レンガ』と呼ばれ
多くの市民に親しまれてきたこの赤レンガ倉庫を、
貴重な歴史的資産として保存し、
また市民の身近な賑わい施設として活用するため、
平成4年3月に国から取得しました。
現在の赤レンガ倉庫を説明する必要はないかと思いますが、
【ブラタモリ】で赤レンガを訪れたタモさんが、
「本来は、船が来る海側が玄関口のため、正面はこっちの方なんだよ。
だから、みんなが入ってくる方は裏側で、こっちがメインなんだよ。」
って言ってました。 さすがタモさん、頭いいな~
【旧横浜港駅プラットホーム】
今回の一番の目的は、実はこのプラットホームだったんですよ~
これも、我が師匠のタモさん
(当然のことながら、タモさんの承認は得ていません、、、)
が【ブラタモリ】でこのプラットホームに登って
感動していたんですよね~(鉄道好きだからかな)
あの時のタモさん、ホントいい顔してたな~~
テレビでは、当時の人々が行き交う様子をCGで再現してました!
タモさんが満足している顔を思い浮かべながら、
同じ地に立って一人で喜んでいる隊長でした。
プラットホームのご説明は
↓↓↓
以上、横浜後編でした。
本当は、他にもあるのですが、長~くなってしまうので、
今回はこのへんで終了します。。。
また機会があれば、紹介させていただきますね!
PS
年賀状のコメントに、歴知隊入隊を希望された、
自由が丘にある某雑貨屋店 店長のS様
早急に面接をする必要がありますね~。
いろいろと入隊手続きが必要なので、是非新年会で打合せしましょう!
その際に、身分証明書/印鑑/通帳/入隊金¥10をお忘れなく[E:happy01]