【歴知隊~vol.6~(品川:鈴々森・・・編)】

皆様、こんにちは~Sawada

先週末はかなり涼しかったですが、

今週からまた真夏に逆戻り(泣)

熱中症には十分気をつけてください!

のどが渇くと感じる前に、

水分補給しないと意味がないそうなので、

こまめに水分補給してくださいね~

 

今回、久しぶりに歴知隊の活動をしてきましたので、

アップさせていただきます!

そろそろ、大田区を脱出し、

江戸の町へと徐々に進んでいこうと思っております。

泉岳寺あたりは、いかがかいなと思考を巡らしていたところ、

その手前に歴史を語る上では避けては通れない場所が・・・

そこは、大田区と隣接している、品川は鈴々森・・・

鈴々森と聞くだけで、

既にお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが。

京急大森海岸駅から徒歩5分くらい?

周りには、しながわ水族館や大井競馬場もある中で、

国道15号沿いに1箇所だけ怪しげな場所があります。

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それは、、、

↓↓↓

あっと、只今夜一人で、作業していますため、一旦中止します。

何故かって??

そりゃ~怖いからです(震) 

(この夜の作業中止はホントの話です^^;)

私も、もう御年40歳となりますが、何か問題でも??

 

そして、翌朝作業開始!

続きいきま~す。

それは↓↓↓

002 

そうなんです、刑場なんです。。。

ここ鈴々森刑場は、

1651年に江戸幕府によって開設されました。

処刑に使用された火炙台(ひあぶりだい) や、

磔台(はりつけだい)の石台の他、

斬首した首を洗ったという首洗の井戸も現存しています。

正確な処刑者数は定かではありませんが、

閉鎖される明治4年(1871年)までの220年の間に

冤罪も含め10万人から20万人もの罪人が

処刑されたそうです(悲)

また、ここでの処刑は、

数々の人形浄瑠璃や歌舞伎などにも登場します。

八百屋お七、天一坊、平井権八、丸橋忠弥らは

実際にここで処刑されました。

 

人物像に関してのご紹介は長くなるため、

興味のある方は、↓でお調べください(汗)

 

八百屋お七

 ↓ 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE%E5%B1%8B%E3%81%8A%E4%B8%83

天一坊

 ↓ 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%80%E5%9D%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6 

平井権八

 ↓ 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E6%A8%A9%E5%85%AB 

丸橋忠弥

 ↓ 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E6%A9%8B%E5%BF%A0%E5%BC%A5

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しながわ百景って・・・

何だか意味合いが違う気がするけど。

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バリバリ真昼間の撮影、

だけど、ものすごーく、こわ~~~い(汗)

まぁ、僕自身は全く霊感がないので、

特別感じるものはありませんでしたが、

ここは有名な心霊スポットだそうです。

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これが、有名な「首洗いの井戸」・・・・・・・・

もうこのへんでやめておきます。

恐すぎて、気が進まないのでございます。

 

処刑が行われた石台のすぐそばにある札には、

「この地、鈴が森の刑場に団体で訪れ、

受刑者の諸霊に合掌することなく、

無神経な引率者の話を聞いた後、

立ち去る中高年齢が多く見られる。

今日の社会荒廃は年甲斐も弁えぬ者の

責任大であることを自覚せよ。

日本の心、礼節を知れ。心あらば合掌礼拝し、

受刑者霊の冥福を祈れ。」

という和尚様のお怒りの言葉が。

そのとお~り!!!

 

帰り際、合唱すると同時に

「僕は興味本位で来ているのではなく、

歴知隊の隊長として、皆に歴史を伝える義務があるのでございます。

どうかお許しください。

そして成仏してください。」と祈るのでした。

皆様も、決して遊び半分で訪れることはやめましょう。

 

ということで、合唱後、私と隊員達はこの鈴ヶ森を後にするのでした。

ん? 隊員達??

確か、僕の記憶によると、ワイフ除名後の入隊は・・・

ゼ~ロ~♪

ということは、後ろについてきている隊員達って???

 

ひょえ~~~~