【歴知隊~vol.5~(梅屋敷公園編)】

皆様、こんにちは!Sawada_2

随分と間を空けてしまいました・・・

 

今回も大田区シリーズでございます。

最初に有名なところを出しすぎて、徐々にしょっぱくなっていきますが

それこそが【歴知隊】の真骨頂!

地味~な所を案内するのも、歴知隊の醍醐味なのです。

 

今回は、その地味~な梅屋敷公園を紹介します!

ここ梅屋敷公園は、国道15号沿いにあり、

江戸を行き来する人々の言わば休憩所みたいなところでした。

梅屋敷の由来は、

山本忠左衛門が和中散(道中の常備薬)売薬所を

開いた敷地三千坪に梅の木を植え、

東海道の休み茶屋を開いたことに始まると言われています。

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公園内に日本橋までの距離を【距日本橋三里十八寸】

と記した石碑がありました。

梅屋敷公園を出た国道沿いには、【日本橋15km】

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これは、調べないと!

 

早速、webで調査したところ、1里=約4km 1丁=約110m

ということは、12km+1980m=13.98km??  

あれ1km合わない・・・ 

これは一大事!!!   引き続き調査し、また結果報告します!

 

 

脱線してしまいました・・・。

江戸時代には、十二代将軍の徳川家慶が鷹狩りの休み所とした程の

屋敷で、その雅趣ある風情は多くの文人、行楽客、

東海道の旅人を集め、

特に梅の開花期には非常なにぎわいを見せていました。

 

【梅屋敷事件】

文久2年(1863)11月13日、高杉晋作・久坂玄端らの

横浜襲撃計画をしらされた長州藩は、

止めさせるため藩士11人を向かわせ、自らも説得のため出向き、

高杉らを待ったのが梅屋敷だったそうです。

説得には成功しましたがその後の酒宴で周布政之助が

土佐藩主山口容堂を非難誹謗したことにより

土佐藩士との間で諍いとなりました。

これが、梅屋敷事件と言われるものです。

 

その他、明治天皇・伊藤博文・木戸考充などの著名人が

ここ梅屋敷に訪れているようです。

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そう考えると、梅屋敷というところは、侮れないないですね~~

 

現在は、所有者も変わり、面積も小さく(というよりかなり小さいです)

なりましたが、区立公園として、約30本の梅の木が植えられています。

撮影した時期が昨年だったため、まだ梅の花は咲いていません・・・

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国道15号から、約800mくらい? にぎやかな商店街があります。

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テレビにもよく出るお店もあったりします。

通るだけでも、結構楽しいので、機会がありましたら、

寄ってみてください^^

 

以上、梅屋敷でした~~