会社沿革
創業者、故丸山繁治がダンロップ護謨(現、住友ゴム工業)退社後、ゴム工業の将来に着目し事業を開始。
神戸市長田区西尻池町1丁目9番地に移転、生産工場として本格的な生産に入る。
ウスゴム生地の開発に着手。製品の一部は輸出に成功。
糸ゴム製造研究に着手。当時、南米原産のバラゴムでなければ糸ゴムは出来ないとされていたが、
スモークシートを原料に、従来の常識を破る画期的な製法開発に成功。
これにより、輸入依存度を著しく低下させたと同時に、今日の業界発展の糸口となる。
中国、上海にゴム製造技術の海外進出第一歩を記し、海外進出の先駆けとなる。
この会社は現在の天華ゴムとなり、今もなおその技術は継承されている。
企業整備令に基づき、日の丸ゴム株式会社を吸収合併し、三起ゴム工業と名称変更。
戦時中は、日本繊維雑品振興会より国内一社の糸ゴム製造工場として指定され、国策に寄与。
企業整備令により会社を解散。
戦後、業界の再起要望に応え、糸ゴム専門工場として株式会社丸榮ゴム工業所の名称で、
神戸市長田区西尻池町にて再起スタート。
内外需要の増大に備え、明石工場を増設。
糸ゴム製造工程で最も重要且つ困難な裁断を、スリッター方式に変えることに成功し、糸ゴム製造の特許を獲得。
故丸山繁治、糸ゴム工業の創造、技術開発の功績により黄綬褒章の栄誉を受ける。
社員特殊制度を導入し、丸榮日産株式会社を設立、営業権を移籍。
タイ・バンコクにおいて糸ゴム製造及び二次加工製品製造の合弁会社を設立。(日本側比率49%)
鳥取県に新工場建設(敷地約25,000㎡)。連続加硫装置の開発にて特許を獲得。
貿易部の開設10周年を契機に貿易事業拡大のため新会社として、丸榮日産トレーディング株式会社を設立。
丸榮日産トレーディング株式会社を設立時に、輸出部門、輸入部門の中で、雑貨取り扱いをスタートさせる。
岩美工場を独立させ、株式会社伸高産業を設立。
丸榮日産トレーディング株式会社、神戸市中央区元町通りの新社屋に移転。
新社屋に移転時、1Fに雑貨ショールーム兼アンテナショップ「キッチンクラブ」をオープンさせる。
丸榮日産トレーディング株式会社社屋を明石へ移転。
神戸市長田区の工場敷地を売却、岩美工場に生産を一本化し工場増設本社を明石へ移転。
関連会社、丸榮ゴム工業所を吸収合併・伸高産業の解散を行い、称号を丸榮日産株式会社として再スタート。
関連会社の丸榮日産トレーディング株式会社と業務統合。
阪神淡路大震災発生、明石工場、コスタデル明石大被害受ける。
雑貨部門拡大のため、東京営業所を開設。
創業80周年を迎える。
合理化のため、明石工場を岩美工場に一本化する。
創業100周年を迎える。
北陸出張所閉鎖